ケニア・ウガンダ視察報告(2010年3月実施)!

ミレニアム・プロミス・ジャパン(MPJ)では、今年3月、学生2名とプロボノ2名(社会人ボランティア)の計4名の皆さんが、慶応大学法学部教授・田所昌幸先生と鈴木MPJ理事長と一緒に、ケニアとウガンダのミレニアム・ビレッジを訪問しました。
掲載が遅くなりましたが、MPJユースの会代表の國仲真一郎さんらが報告書にまとめましたので、どうぞご一読ください。
Mayorとの集合写真 (2).JPGP1000704.JPGオバマ大統領のおばあさんの家.jpgP1010192.JPGサッカーボール寄贈.jpgインターンのナオミさん.jpg
【写真上 左から】ケニア:キスム市の病院にて市長と、サウリ村にて:ソニーご寄贈のパソコンがクリニックで活用されていることを確認しました(2008年MPJ経由で寄贈)、キスム市郊外:オバマ大統領のおばあさんの家を訪れました
【写真下 左から】ウガンダ・ルヒーラ村にて:小学校で給食をいただきました! サッカーボールを寄贈しました! MPJインターンのナオミさんが日本語を教えている小学校にて

ミレニアム・プロミス・ジャパン(MPJ)
ケニア・ウガンダ視察報告
2010年3月

日程:2010年3月7日~19日(13日間)
訪問地:ケニア(Nairobi、Kisumu、Sauri)
ウガンダ(Kampala、Mbarara、Ruhiira)
参加者:鈴木りえこ(ミレニアム・プロミス・ジャパン理事長)
田所昌幸(慶應義塾大学法学部教授)
鈴木勇貴、豊田祐規子(MPJプロボノチーム・ 社会人ボランティア)
堀尾健太、國仲真一郎(MPJ「ユースの会」)
目次
(1)行程表
(2)ミレニアム・ビレッジ・プロジェクト関連のオフィス訪問
(3)ケニア、ミレニアム・ビレッジ、サウリ(Sauri)村
(4)ウガンダ、ミレニアム・ビレッジ、ルヒーラ(Ruhiira)村
(5)その他訪問地
(6)参加者より
(1)行程表
日時     場所
3/6(土) 東京 東京発(羽田空港→関西国際空港→ドーハ国際空港)
3/7(日) ナイロビ ナイロビ着、市内見学(マーケット、スラム等)
3/8(月) ナイロビ MDGs Centreにて意見交換
         観光(ナイロビ国立博物館)
             夜、鈴木理事長合流
3/9(火) ナイロビ
         キスム
             朝、ナイロビ発キスム着(空路)(Beldinaの出迎え)
             Millennium City Projectのオフィス訪問
             JICAオフィス表敬訪問
             Migosi Health Centreのオープニングセレモニー
             小学校2校訪問
3/10(水) キスム
         サウリ Millennium Village Projectオフィスにて意見交換後、陸路移動
              サウリ村視察
                ・Yala Sub District Hospital
                  →三菱東京UFJ銀行から預かったちぎり絵贈呈
                ・小学校
                ・養蜂場
                ・グリーンハウス
                ・Marenyo Community Cereal Bank
3/11(木) キスム 観光(オバマ大統領祖母の家、キスム博物館など)
         夕方ナイロビ着(空路)
3/12(金) (週末でオフィスが閉まっていたため、2つのグループに分かれ観光)
         全員14日にナイロビで合流
3/13(土)
3/14(日)
3/15(月) ナイロビ
         カンパラ 昼、ナイロビ発エンテベ着(空路)、カンパラへ陸路移動
             ※飛行機の欠航&遅延で予定が遅れる
              ・在ウガンダ日本大使館・加藤大使を表敬訪問
              ・マケレレ大学訪問、田所教授による講義
3/16(火) カンパラ
         ムバララ  陸路カンパラからムバララへ
               Amitie Sports Clubの関係者と合流
               夕方、Millennium Village Projectオフィスにてブリーフィング                   Tommy Hilfiger財団および地方政府の関係者と夕食
3/17(水) ムバララ
         ルヒーラ
          陸路ムバララからルヒーラへ
              ルヒーラのフィールド視察
              ・Ruhiira Micro-Credit Bank
              ・小学校①
              ・水源
              ・Ruhiira Health Centre
              ・Ruhiira Community Centre
              ・小学校②
              ・小学校③
                 →給食を頂く。
              陸路ムバララからカンパラ経由、エンテベへ
         エンテベ泊
             (鈴木理事長は引き続きウガンダ視察を継続)
3/18(木) エンテベ
         ナイロビ
         ドーハ 早朝エンテベ発ナイロビ着(空路)
              昼ナイロビ発
              夜ドーハ着、深夜ドーハ発
3/19(金) 東京 夜、東京着
【経費】ケニアとウガンダにおける現地費用以外は、原則、自己負担です。
    田所昌幸教授より経費の一部をご寄付をいただきました

(2)ミレニアム・ビレッジ・プロジェクト関連のオフィス訪問
1.3月8日(月):
ナイロビ・MDGs Centre
ナイロビ.jpgMathare2.jpgMathare.jpg
【写真左から】ナイロビのスラムMathare x 2枚、ナイロビ市内
MDGsセンター.jpg
 3月8日(月)の午前中、ナイロビ市内のはずれにあるMillennium Development Goals (MDG)Centreを訪問した。残念ながらディレクターのBelay Begashaw博士(エチオピアの元農業大臣)はニューヨーク出張中のため不在だったが、プログラム・スタッフはほぼ全員が参加して、有意義な議論を行うことができた。
 先ず初めにMDGs Centreの役割や活動について丁寧な説明を受けた。2004年に設立されたこのCentreは、ニューヨークのミレニアム・ビレッジ・プロジェクト(MVP)本部とアフリカの各ビレッジをつなぎ、円滑な活動を推進する役割を果たしている。MPJは設立以来3年以上を経過した現在、各分野で素晴らしい成長を示し世界的な注目を浴びている一方、ニューヨークと現地のビレッジの間には、距離や時差、文化の違いもあり、意思疎通などの場において更にコミュニケーションを深める必要がでている、とスタッフの一人が話してくれた。ニューヨークとアフリカの両文化のどちらにも対応しなければならず、双方の意向が食い違う場合など両者の間の調整も重要な仕事の一つだと言っていた。最も印象的だったのは、MDGs Centreの立ち位置・役回りそのものがまだはっきりしていないこと、国際連合特有の“タテ割りシステム”への対応に苦労している、などの国連組織間の問題に対する苦悩だった。
 続いて、2日後に訪問する予定であるミレニアム・ビレッジ、サウリ(Sauri)村でのプロジェクトの現状について、あらかじめブリーフィングを受けた。ミレニアム・ビレッジ・プロジェクトの第一号として2004年8月に始まったサウリ村は設立後6年目を迎え、プロジェクト全体のシンボル的な存在となっている。過去5年間で築いた基盤を活かしつつ、貧困のサイクルから抜け出して発展のサイクルに乗せることができるかどうか、試金石となっているという。
 サウリ村に関する説明の中で印象に残っているのは、現地との折衝、現地住民の納得を得る、といったように「ローカル」という言葉をしきりに用いていたことである。今後、プロジェクトの6年目から10年目にかけては、より自立した発展を目指すためにビジネス面への支援が行われている。しかし、そもそもビジネスという概念が欠けているような地域に対して、ビジネスを通じた自立という目標をどのように受け入れてもらうことができるのか?先進国に住む私たちには当然であるこのような点に関しても、慎重に配慮しなければならない問題だ。
 さらには「突然村に押し掛けてビジネスの概念を頭ごなしに押し付けるのではいけない」「現地の人々との地道な折衝を通して、ひとつひとつ理解を得ながら受け入れてもらわなければならない」「ただしその折衝の結果プロジェクトが後退するようなことはあってはならず、そのためにも継続的な介入(intervention)が欠かせない」ということも主張していた。現地のオーナーシップと、外部からのプレッシャーとのバランスをどう取っていくか、という課題に関しては、手探りで答えを探しだしている状態なのだろう。農業、教育、健康などの面では目覚ましい成果を挙げているミレニアム・ビレッジ・プロジェクトではあるが、現地の人々の自覚を育み、彼らの自主的な発展を導いていく過程での、スタッフの皆さんの並々ならぬ苦労と努力を改めて感じさせられた。
 質疑応答の時間にはMPJ視察団から多様な質問が出された。中でも特に興味深かったのがビレッジの選定基準に関するものであった。MVPではサハラ砂漠以南のアフリカ諸国10カ国80もの村をミレニアム・ビレッジに選定し、それらのMVに対して援助を行っている。村を選ぶ基準としては、
(1)第一に、住民の多くが一日2ドル以下で生活していること
(2)政治的に安定していること。国際機関としては、政府が介入を望んでいないところ、あるいはそもそも政府が機能していないところには入り込めない、ということである。
ここで、国際機関の場合、現地政府との良好な関係が活動を円滑に進めるため必要不可欠な条件であることを再度確認させられた。しかし、一方で、現地政府の意向通りに行われる支援が果たして「本当に援助を必要としている人々」を助けることができるのか、という疑問も浮かんできた。
2. 3月9日(火):
キスム・Millennium City Initiativeオフィス
Beldina.jpg 【写真】ミレニアム・シティ・イニシアティブのBeldina 
 キスム(Kisumu)のMillennium City Initiative オフィスにて、責任者のBeldinaからブリーフィングを受ける。彼女はケニア人だがアメリカで教育を受けた後、そこで10年ほど働いた経験があり、二つの文化にとって不可欠なコミュニケーターでもある。
ミレニアム・シティ・イニシアティブ(MCI)はコロンビア大学地球研究所が運営するMVPの姉妹プロジェクトである。名前が示す通り、ビレッジではなくシティの貧困層のためにプロジェクトを展開し、外資を誘導する努力を重ねている。
 2009年秋までここでインターンをしていた「MPJユースの会」のメンバー石黒文香さんが、現地に溶け込んで、スラム地域の学校を担当し公衆衛生などの分野で大活躍した。彼女が日本人特有の粘り強さを発揮して、プロジェクトのために大いに役立ったことに対して、Beldinaから謝意を受けた。 ここでは、ミレニアム・ビレッジであるサウリ村とミレニアム・シティであるキスムの関係、またプロジェクトの運営などについて話を聞いた。MVPとMCIでは支援規模が大きく異なり、スタッフも少なく資金も円滑ではないため、日本からさらに優秀なインターンが到着することを心待ちにしていた。
(3)ケニア、サウリ(Sauri)村
3月9日(水)
1.サウリ村について
赤道(ケニア.jpgMVP看板.jpg
【写真】キスム市郊外にある赤道直下の記念碑にて、ミレニアム・ビレッジ・プロジェクトの看板  
 アフリカのサハラ砂漠以南にある10カ国80村のミレニアム・ビレッジのうち最初のビレッジで、かつ最大の規模をもつサウリ・クラスターは、ケニア西部シアラ地方のキスム市から40キロほどに位置する。クラスターは11村で形成され人口約7.5万人である。村人のほとんどはケニア全体の13%ほどを占めるルオ族と呼ばれる人々で占める。ビクトリア湖からほど近い標高が低い地域にあり、気温・湿度が高く、マラリアなど熱帯病の発生率は国内の他地域に比べて高い。農業が主産業ではあるが、1戸当たりの耕作面積は非常に狭い。
2. 病院訪問
サロメと.jpg 【写真】左端がサロメ
 私たちを案内してくれたのはMVPプログラム・アシスタントのサロメだった。彼女はイギリスの大学院で開発経済を学んだ30歳前半の女性で、私たちの質問にも誠意をもって答えてくれた。
ちぎり絵贈呈式 (2).JPG 私たちは 先ず、サウリ村にあるYala Sub District Hospitalを訪問し、三菱東京UFJ銀行CSR推進部の方々から寄贈された動物を描いた「ちぎり絵」を2枚贈呈した。同銀行CSR部から、日本対がん協会の催しで参加者と一緒に手作りした『ちぎり絵』を途上国の病院へ寄贈したい、という要望があり、ジェフリー・サックス教授夫人のソニアと相談して、米女優アンジェリーナ・ジョリー氏もテレビ番組の取材のために訪問したこの病院を選んだのである。また、MPJのホームページ上で集まった寄付金も持参し、感染病やマラリア対策に使ってもらうことを約束した。
手術室.JPG病室.JPG 
 病院はアンジェリーナ・ジョリー氏が訪れた2005年と比較すれば、水も出るようになり格段の設備がそろっているものの、先進国の私たちから見ると到底充分とは言えない状態だった。帝王切開や簡単な手術ができる「手術室」と名のつくものはあるが、衛生状態や器具の状態などは第二次大戦前の日本と比べても劣るだろう。「出来ることならここで手術は受けたくないな」というのが先進国に住む私(國仲)の本音である。しかしこの病院は、国の病院等級でみると上から3番目のランクの設備を整え、村の人々だけではなくその周辺の人々にとっても、この付近では唯一、手術を受けられるところで、たった一人の医師が数千人の患者を診ているということだった。
 病室の各ベッドには、MVPのグローバル・パートナー企業である住友化学のOlysetというブランドの青い蚊帳がかかっていた。サウリ村の地域は、ケニアでもマラリアの罹患率が高いところである。乳幼児や身体が衰弱している患者がマラリアに感染した場合、非常に危険な状態となる。マラリア予防のため、この高品質の蚊帳を必要としている人は発展途上国には大勢いるのだろう。
 MVPの介入前には設備がなかった病院業務に必要不可欠な水は、今では井戸水と天水を浄水施設を通して使っている。ちなみに、浄水施設のない場所では、雨水をそのまま飲み水としても使っているところもある、ということだった。
3. 小学校訪問
 次に、サウリ村の小学校を訪問した。
ケニアの学校.jpgケニアの学校2.jpgケニアの学校3.jpg 
【写真】サウリ村の小学校 
この小学校ではプロジェクトが始まって以来給食プログラムを実施し、無料で全生徒に支給している。給食を支給することで、空腹によって勉強への集中力が弱まることを防ぐだけではなく、栄養価も高まり、子どもが自ら進んで学校へ行く、また親が子どもを学校に通わせる、という幾つもの効果があるという。私たちが訪れた際に生徒達が食べていたのは豆と野菜を塩で煮込んだだけのものだが、これが有るか無いかで大きな違いが出ているのだろう。
 またこの学校で特徴的だったのは、独自の収入を確保するために、学校内の余っていた敷地を使って養鶏や魚の養殖(ティラピア、ナマズなど)などを行っていた点である。ここで生産されたものを市場で売って、給食にかかる費用などに充てているという。養鶏や養殖の管理、また養殖池を掘る作業などのために働いているのは現地の人々で、雇用にも貢献している。さらに、小学生が動物に接して世話を行うなど、教育的な効果もあるらしい。一つのプロジェクトが複数の波及効果を持つ例を実際に見ることができ、とても感銘を受けた。
 さらに、この学校の教室には机も椅子も揃い、生徒たちもみな教科書やノートを持っていて、プロジェクトが成果を見せていることが伺われた。しかし、土がむき出しになっている教室もあり、まだまだすべてにわたって環境面が整っているとは言えない。またそもそも学校に来ることができない子どもたちも大勢いるのだ。
パソコンルーム.JPG 教室を見学した後、学校の先生は誇らしげにコンピューターが並ぶ部屋に案内してくれた。8台のコンピューターが整然と並んでいたが、コンピューター室で遊んでいた女の子たちは「ペイント」で遊んでいる程度であった。予算不足のためか8台ともインターネットには接続されていないらしく、せっかくのコンピューターを十分に活用しているとは思えなかった。
 土がむき出しの校舎に不釣り合いなコンピューター室を見て、「一体ここは普段どのように使われているのだろう?」と思った。残念ながらこの疑問は、最後まで解決できないままだった。
ただし、都市から遠く離れたミレニアム・ビレッジでも、エリクソンや現地の携帯電話会社の進出により、ほとんどどこでも携帯電話はつながっている。そのため、太陽光発電システムなどが整えられれば、コンピューターとインターネットにつなぐことが可能になる。たとえば、先生が携帯電話とコンピューターをつないで、インターネットへのアクセスを示してくれるかもしれない。子供たちが成長した時、デジタルデバイドに陥ることが避けられ、たとえば農作物の市場価格を知ることができるだけでも、大きな意味があるという。
最後に、訪問の記念として、日本から持参した中古のサッカーボールを渡した。驚いたことに、彼らが使っていたボールは、ちぎれたゴムを集め、紐で丸めただけのものだった。おみやげの日本のボールに子どもたちは大はしゃぎだった。私たちが次の場所に向かうため車に乗り込んだ後、振り返ってみると、子どもたちはまだ夢中になって一つのボールを追いかけていた。
4. その他のプロジェクト
 ミレニアム・ビレッジ・プロジェクトでは、学校や医療に対する支援のほかにも、様々な面で村人のエンパワーメントを図っている。
○ビニールハウスの導入
 ビニールハウスを導入することで作物の収量が向上し、収入も増えたという未亡人を訪問した。村では一般に、主としてトウモロコシの二期作や豆類を作っているが、彼女は夫が亡くなった後、プロジェクトの勧めで家の周りにビニールハウスを建て、トマトなどを栽培している。最初は中古のビニールをつかっていたが、増収によって、新しいビニールハウスも作った。自分の力で家を新しくすることができた、と喜んでいる姿が印象的だった。私たちが別れを告げた時、彼女も野菜を詰めたバスケットを頭に乗せて出かけた。近くの道端で何人かの女性たちと露店を広げ、日銭も稼いでいるという。
○コミュニティ「穀物銀行」
 Marenyo Cereal Bankを訪問した。ここでは村の人々が農作業に必要な作物の種や肥料などを借りることができる。収穫の際に、利子をつけて返済するのだそうだ。また建物の横にはその日の穀物相場を書き込む黒板があり、取引所としても機能しているらしい。携帯電話の普及によって情報伝達能力が格段に向上し、このような地方の穀物農家でも市場価格の高いときに穀物を売却し、より大きな利益を得ることができるようになっていた。
(4)ウガンダ、ルヒーラ(Ruhiira)村
3月16日(火)~17日(水)
1.ルヒーラ村について
バナナ.jpgルヒーラ.jpg
【写真】ルヒーラ村のバナナプランテーション、ルヒーラ村の風景
ウガンダ南西部イシンギロ地域、Mbararaという商業都市の近くに位置する、人口40000人の地区である。標高1350mから1850mに位置する数百㎢にわたって集落が点在し、それらを結ぶ道路は充分とは言えない。そのため学校や病院・地方政府など公共施設へのアクセスで大きなハンディキャップを背負っている。
2. Ruhiira Micro-Credit Bank
 私たちは、2010年1月から現地で活動しているMPJインターン生のナオミさんや、教育担当責任者のLawrennceとともにルヒーラのMicro-Credit Bankを訪問した。通常の銀行業務(預金)のほか、住民に小額の融資を行うことでエンパワーメントを図る、マイクロファイナンスを実施している。融資の利子は年24%(月2%)である。貸出し条件は、①銀行に出資していること、②同様の出資者を2名保証人とすること、などが求められている。これを満たすことは決して簡単ではないだろう。しかし、返済率は90%以上の高い水準を保っている、ということだった。マイクロクレジットを開始する一年前から、村人に「節約」「返済」などという概念を伝えることから始めなければならなかった、と聞いた。
3. Ruhiira Health Centre/Community Centre
 ミレニアム・プロミス共同設立者のジェフリー・サックス(Jeffrey Sachs)教授がオープンしたRuhiira Health Centreを見学した。
ルヒーラのクリニック.jpg この地域唯一のヘルスセンターで、遠くタンザニアからも越境して患者が来ることもあるという。それにもかかわらず専門のドクターはたったの1名だけ。そのため毎日患者があふれ、訪問当日も大勢の患者が外の待合室で順番を待っていた。病院には検査室も併設されており、マラリアやHIVウイルスの検査なども執り行えるようになっている。ここの特徴は、ヘルスコミュニケーターが遠隔地から携帯電話などで患者のデータを送信したり、急患を連絡することである。ヘルスセンターの4畳くらいの狭い部屋には3人の担当者がコンピューターに向かって患者のデータを整理していた。
 また、隣に建っていたコミュニティーセンターの外壁には、日本の大使の名前が刻まれたプレートが飾れていた。中には村の女性たちが紙で作ったネックレスなどの装飾品を売る部屋や、村人が集まってコミュニティ会議を行う部屋なども設けられていた。プロジェクトの説明では、村人のオーナーシップという言葉が繰り返され、村人が自立するためには彼らが自分の意見が取り入れられていることを自覚する必要があり、そのためのコミュニティ会議が重要な役割を果たすという。
4.水源
水を汲む子供.jpg ルヒーラ村に新しく整備された水源を見学した。これが造られる以前は、村人はカエルが卵を産み牛がそばでフンをするような水たまりから水を汲んでいたという。この水源ではきれいな水が流れ、ちょうど水汲みに来ていた子たちも大きなポリタンクに水を一杯に貯めていた。
しかしこの水源地は谷のような場所にあり、集落からはバナナ畑の長い急斜面を下りて来なければならない。子どもたちが足場の悪い坂道を、毎日20kgもの水を持って登っていくのは、決してたやすい作業ではないことを実感した。
5. 小学校訪問
 ルヒーラ村では20以上ある小学校のうち3つを訪問した。はじめの2校では、同行した関西のNPO法人アミティエ・スポーツクラブの浅尾修代表らと共に、それぞれの学校がどのような状況におかれているのか、また改善しなければならないのはどのような点なのか、などに関して説明を受けた。現地に滞在しているMPJインターン生のナオミさんが日本語クラスを始め、事前に子供たちに日本語の替え歌を教えていて、彼らがきれいな発音の日本語の歌で私たちを歓迎してくれた。
 壁や窓のない教室、机や椅子、教科書など学校教育に必要な物資の不足、トイレ更には教員の不足など、2校とも深刻な問題を抱えている現状が校長先生の話からも、また実際に見た様子からも感じ取ることができた。
日本の歌を歌う小学生.JPGサッカーボール寄贈.jpgP1010192.JPG 
しかしどちらの学校でも、子どもたちの顔が非常に明るかったことが強く印象に残っている。ここでも、日本から持参した中古のサッカーボールを渡すと子どもたちは嬉しそうにボールを追いかけていつまでも走りまわっていた。
 最後に訪れた学校では、私たちも給食プログラムの恩恵に与って、お昼ごはんを頂いた。実は別の小学校で給食をいただく予定だったが、校長先生やPTAが私たちのために特別食を用意してくれ、そのため時間的間に合わなかったというハプニングもあったことを後で聞いた。また、普通の給食を味わいたい、という私たちの意向を重視してくださったという。
給食をもらう子供.jpgスープを飲む子供.jpg 当日のメニューは、とうもろこしの粉をお湯で練った「ポショ」と呼ばれる主食、そして塩味の豆の煮込みだけだった。しかし子どもたちと一緒に、子どもたちが食べているものを、子どもたちが普段生活している学校で食べたという経験は貴重なものだった。当初は奇妙なものを見るような目でこちらを眺めていた子どもたちとも、片言ながら次第にコミュニケーションをとることができるようになった。給食プログラムによって、生徒の栄養状態を改善するだけではなく、給食が子どもたちを学校に来させる要因となる、というのはここでも同じ話らしい。子どもたちの一人にこの食事は好きかと聞いたら「食べられることがうれしいんだ!」という声が返ってきた。
(5)その他訪問地
○JICAオフィス表敬訪問(ケニア、キスム市)
jica.jpg 3月9日、キスム市のJICAオフィスを訪問し、杉下智彦さん、及び戸田幹洋さんからJICAの活動についての説明を受けた。ケニアでも一番マラリアの罹患率が高いこの地域で、JICAは現地の公共衛生担当省と協働し、医療関係者のマネジメント強化プロジェクトを行っているそうだ。
 医療を管轄する地方行政官のエンパワーメントを行う彼らも、「中央(政府)を通さないとなかなかことがうまく進まない」ということを話していた。また彼らのような援助機関は貴重な資源を提供してくれるドナーと、援助の対象となる現地からの要求との両方に顔を向けていなければならないということだが、両者が時として対立し、彼らが板挟みになっているという話も聞くことができた。
○Migosi Health Centre(ケニア、キスム市)
MIGOSI病院.jpgMigosi.jpgキスムの病院セレモニーでの挨拶.JPG
【写真左から】Migosi病院x2枚、産婦人科オープンセレモニーであいさつする鈴木理事長
 キスムのMigosi Health Centreに訪問させていただいた。当日は産婦人科オープンのためセレモニーが開かれており、その日は24時間診療するのだそうである。
 恰幅のいいキスムの市長も参加しており、セレモニーの司会者はじめ病院の関係者は次々に地方政府への「感謝の言葉」を述べていた。MPJの鈴木理事長が現地の人々の前で挨拶した。
プライベートセクターが発達する以前のアフリカにおいて、パブリック・セクターがどれだけ大きな地位を占めているのか、何ヵ所かの訪問を経て、次第に分かってきたように感じた。
○ウガンダ・マケレレ大学訪問
マケレレ大学.jpg田所先生のレクチャー告知.jpg講演風景 (7).JPG
【写真左から】マケレレ大学にて:担当教授と、マケレレ大学での田所教授レクチャー告知、講義の様子
東アフリカ有数の大学である、ウガンダのマケレレ大学を訪問し、田所教授の講演会を行った。ナイロビからの飛行機が遅れ、大学の到着が予定より5時間以上遅れてしまうというトラブルがあったものの、熱心な学生が30名程度集まり、「Japan’s Experience in African Development」と題された田所教授の話に聞き入っていた。
講演終了後は日本に関する質問が相次いだ。日本が明治維新や第二次世界大戦後にたどってきた発展に関して、また今後日本がアフリカにどのようにかかわっていくのか、といった点に関して、学生の興味は尽きないようだった。スケジュールの都合上全ての質問にこたえきれなかったのが心残りだったが、意識の高い学生たちと過ごした時間は非常に有意義なものとなった。
(6) 参加者より
國仲真一郎 
 2週間にわたって、アフリカを見て回った。ミレニアム・プロミス・ジャパンのユースメンバーという立場でありながら、恥ずかしながらアフリカというと「大自然!」であるとか「暑くて、貧しくて、なんだか危なさそう…」であるとか、ステレオタイプのアフリカ・イメージしか抱いていない中での訪問だった。
赤道&クニナカ.JPG ステレオタイプのイメージが形成されるには、それなりの理由が存在するのである。事実、休日を利用して訪れたマサイ・マラ国立公園ではライオンやキリン、シマウマなどの野生生物をこれでもかというほど眺めることができた。アフリカは暑かった(そのため、帰国後の関西空港で凍えそうになった)し、粗末な家が数多く立ち並ぶような貧しい地域を多く見た。今回訪問したミレニアム・ビレッジの他にも、アフリカには町など星の数ほどあり、その多くで、未だに貧困に苦しむ人々が大勢いる。同時期にナイロビを訪れていたユースのメンバーが強盗に襲われかけたという話も聞いた。
 ただ、今回アフリカで見たものがステレオタイプ的なアフリカだけだったかというと、決してそうではないように思う。赤道直下であっても、ルヒーラのような高地では(日差しは強いが)肌に当たる空気は冷たかった。MPJ視察の前に訪れたルワンダでは、夜に日本人が出歩いても身に迫る危険を感じなかった。そして何より、アフリカは貧しいだけではなかった。ナイロビは大都市だったし、キスムには高級ヨット・クラブがあった。ウガンダではおしゃれな中華料理屋で商談に励むアフリカ人ビジネスマンの姿があった。通り一辺倒のアフリカ・イメージとは異なるアフリカも、確実に存在している。遠くに住む僕たちはしばしばアフリカをひとまとめにして「アフリカ」と表現し、考えてしまう。だが、当然と言えば当然ではあるものの、「アフリカ」は多様で、一言では語りつくせない。「日本に帰ってきて『アフリカどうだった?』って聞かれても、アフリカっていろいろあってなかなか答えられないんだよね」という話題で、メンバー同士話が盛り上がった。
 今回の13日間で目に入ったものは、そんな多様な「アフリカ」のごく一部、本当にごく一部にしか過ぎない。しかし13日間で見たものはまぎれもなく現実のケニアであり、ウガンダであり、アフリカである。僕が見たこのアフリカを、今後のミレニアム・プロミス・ジャパンでの活動、そして将来の活動に活かしていきたい。小学校で会った子どもたちが、ずっと笑っていられるようになれれば、少しでもその力になれれば、と心から思う。
堀尾健太
堀尾さん.jpg今回のアフリカ渡航は自分にとって非常に貴重な経験になった。アフリカは、以前モロッコに訪れたことはあったが、いわゆるサブサハラ地域は初めてだったので全てのことが新鮮に映った。しかも農村部やスラムなどの貧困地域から、サファリに代表される観光地まで、アフリカの様々な面を見ることができ、2週間という限られた時間にも関わらず、密度が濃く、学びの多い旅であった。
 最も大きな学びは、発展途上国における開発の全体像がおぼろげながらも掴めたことである。ミレニアム・ビレッジ・プロジェクトは、医療・公衆衛生、水、農業、教育など、開発においてキーとなる多様な側面に対して包括的にアプローチしている。今回のフィールド視察でもそれらの多くの部分を実際に見ることができ、個々のプロジェクトがどのように関連しているか、現地では具体的に何が必要とされているか、などを掴むことができた。また国際機関・大学・NGOを巻き込んだ、大規模なプロジェクトであるが故の困難さ(現場と本部の距離感、全体のコーディネーション、など)もうかがい知ることができた。
 また、今回の視察における個人的な目的として「一個人としての開発への関わり方を模索すること」を挙げていた。自分自身はエネルギー(特に電力)を専門としており、エネルギー面から最貧困層の開発に関われないかと考えていたのだが、今回の視察を通じて開発の様々な側面を見たことにより、最貧困地域においては電力よりも優先順位の高い課題(医療や教育など)が多くあることがわかった。当然それらの解決には専門性の異なる自分は直接関与することはできないが、一方で素人目に見ると、必ずしも最先端の専門性が必要とされているわけではなく、むしろ基礎的な技術や知識の基盤とアイデアさえあれば、大学院生レベルであっても、それなりの貢献ができるように感じられた。特にビレッジの診療所や農業の現場を見たときは、日本にいる医療・看護や農学を専門としている大学院生の友人の顔が何人も浮かび、彼らが数ヶ月または半年程度でもこちらで関わったら、何かしらの成果を上げることができるのではないかと思った。
 今回のアフリカ視察は総じて1日1日の密度が濃く、五感を通じて感じた情報量が非常に多かった。また個人的にも開発や今後の自分の関わり方などに関して考えさせられることが多かったため、帰国後も1~2週間ほどはいろいろと考え込んでしまったが、今は得られたものを自分なりに咀嚼・消化し、今後に向けた大きな糧とすることができているように思う。この経験を生かして、これからも何かしらの形でアフリカに対して貢献できればと思っている。
 最後になったが、視察への同行を快諾いただいたMPJの鈴木理事長と、ゼミにお招きいただくなど帰国後もお世話になった田所教授に、貴重な機会を与えていただいたことをあらためて感謝したい。
その他の参加者
慶応大学法学部教授・田所昌幸先生
鈴木勇貴さん
豊田祐規子さん
ミレニアム・プロミス・ジャパン理事長・鈴木りえこ
セスナ機内.jpg鉛筆贈呈式.JPGMigosi病院にて(田所先生).jpg
【写真左から】ケニアの小学校で鉛筆を寄贈する鈴木勇貴さん、ケニアのナイロビからセスナ機に乗る豊田祐規子さん、ケニアのMigosi病院内にて田所先生と鈴木理事長