東日本大震災被災地支援プロジェクトのご報告

大晦日と元旦に陸前高田の支援活動に参加しました。以下、彼のルポをご覧ください。

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大晦日の12月31日、関東圏、名古屋、関西圏など各地から、総勢63名が集まり、東京駅からチャーターバスに乗って陸前 高田市へと向かいました。
今回、ボランティア・リーダーを務めてくださったのが須合啓氏で、彼は 「夢枕プロジェクト」を設立して震 災直後から被災地や被災された方々を支援をされている方で、強い熱意を抱いた教志(師)です。そのため、日頃から彼を慕う教 師の方々も数多く集まってくださいました。
被災地へ向かうバスの中では、隣の席の人と握手したり、24時間以内のグット&NEWをシェアリングしたり、マ イクを使っての全員の自己紹介、しおり作り、DVD鑑賞など、仲間たちと思いを共有し、それぞれの気持ちを高 めていきました。

バスにゆられること8時間、夜になって陸前高田市に到着。暗くて陸前高田市の状況を見ることはできませんで した。ただし、街灯がなく真っ暗だったので、星が非常にキレイに輝いていたのを覚えています。
花火が打ち上がる23時まで、翌日の“らんら んランニング♪”のサプライズ、モザイクアートの準備を進めました。
23時ちょうど、河川敷で、秋田県大曲の花火師さんらが製作した1,000発の鎮魂の花火が澄み切った夜空に打ち あがりました。内閣総理大臣賞を受賞した花火師さんらが、費用を度外視して日本一の花火を打ち上げてくだ さいました。

【写真】陸前高田で大曲の花火師によって打ち上げられた花火 撮影:安田菜津紀氏

花火を見て涙を流す人、遺影と共に家族で見る人など、胸に刻みつけるように見入って方々などが多くいたのが印象 的でした。
宿舎にもどってから、ボランティアスタッフ全員が集まり、手を繋いでカウントダウンをして、年越しそばを 食べました。その後、若い世代が中心となってモザイク・アートの準備を進めま した。

 

 【写真】北岡会長と大曲の花火師の方々

 1月1日・元旦
朝6時に宿を出発。
全員でコースの下見を兼ねて、箱根山付近にて朝日を鑑賞。日が昇るにつれて、陸前高田市の全容が徐々に姿 を現していきました。
がれきの撤去がほぼ終わってさら地になった土地と、山のように積み上げられたがれき。
山 を下りてランのコースを下見しながら歩いていると、まだ撤去されていないボートや、流されてきたものが残 っていました。

会場となっている「市立米崎中学校」に戻って、「陸前高田に贈るフルコース」のフィナーレを飾る“らんら んランニング♪”の準備をしました。

当日参加もOKということで、数十名の当日参加者が集まり、総勢250名あまりの老若男女、幅広い陸前高田市 民が集まり、米崎中学校~箱根山間約6㎞を走ったり、ウォーキングをしました。途中、みんなで声を掛け合 い励ましあいました。

 

 【写真】“らんら んランニング♪”のスタートの瞬間

 

ランとウォーキングを終え、11時半ごろ会場に戻ると豚汁が振舞われるとともに、体育館では、A4用紙約3,000 枚を使って製作したモザイクアートが完成してありました。2階から見下ろすと、体育館の床に広がったその大 きさに目を奪われました。
63人のボランティアスタッフみんなで作った「絆」の証で、一つの作品をみんなで作り上げる一体感をともに味 わいました。

 

 

【写真】完成したモザイクアートと、ボランティアスタッフで集合写真

 

元旦のお昼過ぎ、陸前高田市を離れる前に、高田松原で津波に流されずに唯一残った「奇跡の一本松」を観る ことができました。
津波にも負けず、たった一本、力強く立ちそびえていましたが、残念ながら、松の根が腐
り生育が困難になっている、との報道がなされました。
ただし、その子孫が残されることも発表されています 。
この「奇跡の一本松」の辺りにはガレキの集積所になっており、陸前高田市のガレキが集まっていて、震災の 被害の大きさを感じられる場所でもありました。
帰りのバスでは、二日間でそれぞれの感じたことを発表し合い、10年間続けて行きましょうと誓い合って解散 となりました。

2日間の活動を経て、震災から9か月が経過した陸前高田市を訪れ、
震災の傷跡が未だに残っているなという印象を受けました。
関東では、震災のニュースが日に日に減っていく中で、現地では現在進行形だと感じました。
ただ、笑顔が素敵な人がたくさんいて、現地の人は決して沈んでいるわけではなく、
前を見て歩いている感じがし、何かしらの形で東北に関わっていきたいと強く感じました。
なお、今回のイベントの模様は以下の動画で一部見られます。
またGalleryの方でも今回の写真を載せています。

111231_鎮魂・新生の花火@陸前高田