ウガンダ 難民居住区の様子を紹介(2月度)

活動報告

SDGs・プロミス・ジャパン(SPJ)では2019年11月27日から2020年3月7日まで、ウガンダ北部ユンベ県のビディビディ難民居住区にて「ウガンダ北部における南スーダン難民への心理社会的支援強化事業」を実施しました。

今回の記事は、事業地のユンベ(ウガンダ北部)のビディビディ難民居住区における南スーダン人の日常生活などについて報告します。

まず、南スーダン人の難民居住区とはいえ、難民居住区内に一定の秩序があることに驚かされました。ビディビディ難民居住区は、5つのゾーンに分かれていますが、ゾーンことに難民居住区に住んでいる南スーダン人によって選挙で選ばれた代表者が一人ずつ配置されており、代表者が中心になって、各ゾーン内にある村々の住民の揉め事を仲裁したり、ウガンダの政府機関や難民居住区内で活動する国連難民高等弁務官事務所などの国連専門機関や国際NGOなどと調整を行ったりしており、難民居住区が南スーダン人の手によって統治されていました。私たちが活動しましたゾーン3の代表者は協力的な方で、心理社会的ワークショップの活動を行う上でとても助かりました。

さて、ウガンダの北部と南部では気候が違います。南部は雨が多く、雨期と乾期のサイクルも比較的はっきりとしているようで、北部は乾燥していて雨も少ないです。首都のカンパラ(南部)から事業地のユンベ(北部)まで車で約10時間かけて移動するとよく分かりますが、カンパラ近郊の緑と自然の多さは北上するにつれて少なくなっていき、北部では南部に見られない植生、例えばパームツリーがあちこちに自生しています。パームツリーは乾燥に強いのでしょう。南部では、移動中の車窓からマツの木が生えているのを見かけますが、北部ではほとんど見かけないマツの木が、標高の高いところで自生することが多いことを考慮すると、カンパラからユンベに北上するにつれいて、標高が下がる、裏を返せば気温が上がっていくようです。実際に活動中、ユンベの高温と乾燥で喉がやられてしまうことが度々ありました。

そして、北部の高温や乾燥に対応するかのように、北部のウガンダ・コミュニティや南スーダン・ビディビディ難民居住区では風通しのよい茅葺き屋根と土壁で作られた家が建てられます。実際に、私も難民居住区にある茅葺き屋根の家の中に入って確かめてみました。すると、茅葺きと土やレンガでできた質素な建物ではあるものの、日中の暑さとは裏腹に建物の中は涼しく過ごしやすいです。ただ、建物は小さく、家の中に間仕切りのようなものもなかったので、家族や親族が生活しているとは言え、家の中で個々人のプライバシーを確保することは難しいと思いました。また、南スーダン人の住居に関して言うと、北部のアジュマニで活動されている京都の国際NGOテラ・ルネッサンスさんの活動を視察させて頂きました。テラ・ルネッサンスさんでは、職業訓練の一環として建物の建築材料であるレンガづくりを職人が南スーダン人に教えていますが、この家の建て方、例えば降水量の多い地域や乾燥地域、突風などの風の強い地域によっては、レンガの組み方を工夫して、建物の強度を高めている(雨風に強いレンガの組み方など)とのことでした。これは地域に根付いている生活の知恵そのものであり、職業訓練を通して熟練の職人が若い世代に伝えていくものの一つです。一見すると、ビディビディ難民居住区にある茅葺き屋根の家屋はどれも同じような作りに見えますが、ゾーンや村々ごとにその土地や気候に合った工夫がされているのかも知れません。個人的には、南スーダン人の衣食住に関わる興味の尽きない話題です。

ちなみに、事業地のユンベやアルアなどのウガンダ北部には、南スーダン人だけではなく、隣国のコンゴ民主共和国からコンゴ人が多く流入しています。ウガンダ人の話によると、ウガンダ北部で家を建てる場合は、家の建設コストを抑えるために、ウガンダ人がしばしばコンゴ人を建設作業員として雇うそうです。ウガンダで家の建設作業に従事するコンゴ人は、夜が明けるか否かの早朝、コンゴ民主共和国から国境を越えてウガンダにやって来ます。そして終日ウガンダで建設作業をして、その日のうちにウガンダからコンゴ民主共和国に帰ります。典型的な出稼ぎ労働者です。

ビディビディ難民居住区にある茅葺き屋根の住居の様子
ディビディ難民居住区にある茅葺き屋根の住居の様子。 家の周りで子供たちが遊んでいる

ビディビディ難民居住区には、国連機関や国際NGOが活動しています。一方で、多くの南スーダン難民は仕事をしていません。そのため、自らの収入で食糧を買うことができない南

スーダン人への食糧援助は喫緊の課題ですが、ビディビディ難民居住区では、世界食糧計画が南スーダン人に定期的に食糧援助を実施しています。今回、私たちが実施してきた心理社会的ワークショップでは、教員とコミュニティリーダーを裨益者としました。それが、世界食糧計画による食糧援助と相まって思わぬ影響を出てしまいました。既に説明しました通り、ビディビディ難民居住区はゾーンが5つに分かれており、そのゾーン内に多くの村々があります。例えば、ゾーン1のビレッジ1は、月曜日から水曜日までの3日間のうちに、世界食糧計画が指定する食糧配布場所まで住民が食糧を取りに行くといった感じで食糧配布計画が複雑に組まれていますが、私たちの活動の裨益者としたコミュニティリーダーは、村の代表者であり、3日間のうち最初の月曜日に自分が食糧を受け取ったからと言って、その場を離れることはできないことを、のちに知りました。つまり、ゾーン1のビレッジ1のコミュニティリーダーであれば、食糧配布日となっている3日間全て、朝から晩まで村人が食糧を受け取りに来るのを全て確認(検収)する必要があり、この3日間が、私たちの心理社会的ワークショップや事業モニタリングの日程とダブってしまった場合は、コミュニティリーダーと会うことはできないということです。実際に、心理社会的ワークショップが終わった後に事業モニタリングを実施しましたが、各村を巡回するとコミュニティリーダーがいないことがままありました。これは、次回のビディビディ難民居住区でのプロジェクトで考慮すべき点です。

また、他団体の活動で印象に残ったこととして、どこの国の国際NGOか知りませんが(少なくとも、日本のNGOではなかった)、南スーダン難民の啓発活動の一環として、ビディビディ難民居住区(ゾーン3)で南スーダンの子供たちが自分たちの意見を書いたバナーを手にもってパレードする様子をドローンで撮影していました。南スーダンの子供たちが「We are same blood」「Give us better」「My tribe is South Sudanese」などのバナーを手にもってパレードしていたのには、心を打たれました。ちなみに、ビディビディ難民居住区での活動は、ウガンダ政府によって厳しく管理されており、ウガンダ政府から活動許可が下りないと活動することはできません。しかしながら、難民居住区で写真や動画を撮影することは意外と問題ないようで、ウガンダ人から「写真はOKだ」と軽いノリで言われましたので、活動期間中にたくさん写真を撮りました。

南スーダン人の子供たちによる啓発パレードの様子(国際NGOの活動)
南スーダン人への食糧配布の様子(世界食糧計画による)。

最後に、ビディビディ難民居住区にある小学校に通う子供たちの様子について書きます。今回のプロジェクトでは、教員及びコミュニティリーダー向け心理社会的ワークショップを学校で実施したため、学校の教育現場を視察する機会に恵まれました。小学校には普通の小学生に加えて、15歳とか20歳ぐらいの南スーダン人の小学生が普通の小学生と一緒に教室で授業を受けています。南スーダンでの紛争や迫害によって、教育機会を奪われてしまった人たちです。そういった人々の中には、例えば自分の息子(普通の小学生)と一緒に自分も同じ小学校に通って授業を受けている人もいます。紛争によって教育機会が奪われてしまうことは、その国の損失そのものです。

途上国の国際協力の全てが凝縮されているようなビディビディ難民居住区で多くの気づきと学びを得ました。

ビディビディ難民居住区にある小学校の授業の様子