MPJでは去る6月24日に開催された総会にて定款変更が承認され、今後は国内外の災害救援・支援活動が可能となりました。それにともない、今後の活動の参考のため、北岡会長と鈴木理事長が被災地を訪問いたしました。 まず、7月2日(土)は、仙台に立ち寄り、陸上自衛隊東北方面総監部幕僚長の竹内陸将補から被災地における自衛隊の活動全般についてのブリーフィングをしていただきました。
その後、レンタカーで気仙沼中学校を訪れ、齋藤校長先生と2年ぶりに再会し、アフリカ諸国のミレニアム・ビレッジから届けられたPray For Japanのメッセージをお渡ししました。そして、今年3月にはルワンダのミレニアム・ビレッジ、マヤンゲにある小学校へ、気仙沼の生徒さんから贈られた文房具をお届けしたことを報告をいたしました。
高台に位置する気仙沼中学校でも、残念ながら痛ましいことに帰宅した生徒さんが一名亡くなってしまいましたが、校舎等には被害は少なかったようです。校長先生をはじめ先生たちは大震災の翌日から各避難所を訪問して生徒たちの安否を確認してまわられたそうです。大震災以来、気仙沼中学校の体育館は避難所となり、先生たちが順番で夜勤をなさっていたそうです。体育館の前には仮設の野外水道が設けられ、そこで洗い物をする被災者の皆さまの不便な暮らしぶりが伺えました。
校舎には「自衛隊の皆さんがいるだけで安心できます」という横断幕が掛けられ、自衛隊の活動が地元の人々に深く感謝されていることがよくわかります。
【写真】左から:気仙沼中学校の齋藤校長先生と、学校前でスポーツを練習する生徒さん、校庭に建てられた仮設住宅
また、気仙沼中学校では、体育の授業は近くにある小学校の体育館を借りている状態が続いています。校庭の前の狭い空き地を利用して生徒さん達が週末のクラブ活動を行っていました。また、正門前の校庭には仮設住宅がびっしりと立ち並び、2009年に講演させていただいた時とはすっかりと周辺の印象が変わっていて、同じ学校だと認識するまで少々時間がかかりました。
校長先生の願いは、一日も早く生徒さん達が体育館を使えるようになり、正常の学校生活を送ることができるようになることだそうです。
秋には皆さんが東京に修学旅行でいらっしゃるそうですので、MPJではMPJユースの会と協力して、中学生の皆さんのお役に立つことができないものか、と検討しています。
さて、第一日目は仙台から気仙沼、陸前高田を回り、北上して花巻温泉で被災者の皆さまが宿泊しているホテルに泊まりました。ホテルには各階のエレベータ前に大きなゴミ箱がいくつも並べられてそこでの皆さんの暮らしが感じられました。食事も広い大広間にブッフェ形式で並べられ、被災者の皆さんと一般のゲストの方々が混合してざわめいていました。ただ、地元を思いながら離れたホテルで暮らす被災者の皆さまのお気持ちは、とても複雑のようです。
第二日目は、早朝から3月に訪れた釜石を再訪問して、ゴーストタウン化した釜石港を前に、再び衝撃を受けました(写真左)。そこから南三陸、陸前高田、気仙沼へと南下して、石巻市(写真右上)に入って駅前の広場で「難民を助ける会」などが開催している大規模な炊き出しを視察いたしました。生のまぐろやオージービーフ、かき氷などのサービス、化粧品会社から提供された化粧品の配布、仮面ライダーの俳優さんたちの挨拶など、盛りだくさんのイベントが催され、多くの方々が集まっていました。その中に、自衛隊のヘリコプターで救助されたという3歳の男の子もいました。おばあさんとお兄さんと一緒に、明るい笑顔でステーキをほおばっていて、「おいしい」とつぶやく姿に心が温まりました。一家ではおじいさんが津波で亡くなったそうですが、「前を向いて進んでいく」というおばあさんの言葉に、私たちの方が勇気をいただきました。
【写真】左から:冨田連隊長と、自衛隊の仮設風呂、「難民を助ける会」の炊き出し
第2日目の午後には石巻市の自衛隊の活動を視察させていただきました。自衛隊第六師団第二十普通科連隊長の冨田一等陸佐から、石巻周辺の地図を参考にしながら、大震災後の精力的な活動についてお話を伺いました。その後、自衛隊の浄水トラック(川の水を浄化してお風呂に使う)や仮設風呂などを見せていただきました。お風呂を担当している女子自衛官は、駐屯地へ戻る5日に1回程度しか入浴できないそうです。この暑い夏、精力的な支援活動を続けられている皆さま、本当にありがとうございます!
そして、被災者の皆さまに、改めてお見舞い申し上げます。一日も早く、皆さまの生活環境が改善されますよう心からお祈りしております。