ケニア・ウガンダ視察報告(2010年3月実施)!

ミレニアム・プロミス・ジャパン(MPJ)では、今年3月、学生2名とプロボノ2名(社会人ボランティア)の計4名の皆さんが、慶応大学法学部教授・田所昌幸先生と鈴木MPJ理事長と一緒に、ケニアとウガンダのミレニアム・ビレッジを訪問しました。
掲載が遅くなりましたが、MPJユースの会代表の國仲真一郎さんらが報告書にまとめましたので、どうぞご一読ください。
Mayorとの集合写真 (2).JPGP1000704.JPGオバマ大統領のおばあさんの家.jpgP1010192.JPGサッカーボール寄贈.jpgインターンのナオミさん.jpg
【写真上 左から】ケニア:キスム市の病院にて市長と、サウリ村にて:ソニーご寄贈のパソコンがクリニックで活用されていることを確認しました(2008年MPJ経由で寄贈)、キスム市郊外:オバマ大統領のおばあさんの家を訪れました
【写真下 左から】ウガンダ・ルヒーラ村にて:小学校で給食をいただきました! サッカーボールを寄贈しました! MPJインターンのナオミさんが日本語を教えている小学校にて

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総会報告(定款変更)

去る6月21日、日本財団ビルの会議室においてMPJ総会が開催され、「定款の変更」が認められました。
設立以来、サハラ砂漠以南のアフリカ諸国にあるミレニアム・ビレッジ10カ国80村を中心に支援活動を行ってきましたが、将来的にはアフリカ以外の発展途上国でも一部活動を展開できるように、活動範囲を広げることが可能になりました。
また、総会に参加された会員の方たちから、以下のようなご意見をいただきました。現在、MPJ評議会や理事会で検討しております。
1、スタッフへの報酬について
これまでできるだけ多くを支援活動に費やすことができるように、スタッフへの報酬は東京都の最低賃金を基準としています。より有能な方に働いていただけるよう、もう少し上げた方が良いのではないでしょうか?というご意見をいただきました。
2、理事の任命について
これまで総会で決定できる事項は、NPO法に基づき、定款変更、解散、合併等となっています。理事の任命などは総会でも決定できるようにしてはいかがでしょうか?というご意見をいただきました。
以上。大変遅くなりましたが、ご報告いたします。


ガーナで開催されたMVP全体会議とガーナ&セネガルビレッジ視察報告

大変遅くなりましたが、7月にガーナで開催されたミレニアム・ビレッジ・プロジェクトの全体会議(Retreat)に関する報告を致します。
サックス教授と片上大使.jpgMVP Retreat in Ghana.jpgUNDP総裁と.jpg
【写真左から】サックス教授、MP・CEOマッカーサー博士らMVP幹部と片上大使、MVP会議の様子、UNDPアフリカ幹部会に参加したUNDP総裁ヘレン・クラーク氏、片上大使と鈴木理事長
【MVP全体会議】

ガーナの地図.gif7月14日から16日までの3日間、ガーナの首都アクラにあるホリディ・インで開催され会議にはニューヨークのミレニアム・プロミス、コロンビア大学地球研究所、国連開発計画(UNDP)の担当者ほかアフリカ現地の関係者たち、スェーデンのエリクソンなどグローバル・パートナーたちが200名ほど集まりました。
 開会式にはガーナのミルズ大統領ご夫人、アクラ市長なども駆けつけてご挨拶をなさいました。また、駐ガーナ共和国日本大使の片上慶一氏もわざわざサックス教授のスピーチを聞きに来てくださり、サックス教授からミレニアム・ビレッジ・プロジェクトが日本政府からの支援金(5年で20億円)を基にキックオフした旨の謝辞をいただきました。
 会議では各国クラスターの代表による成果報告のほか、現在MVPで主要な課題である「農夫を起業家として自立させる」ための研究会などが行われました。先進諸国でも誰もが起業家になれるわけではなく、もちろんすべての人が起業家に向いているわけではありませんが、才能のある人を育てるためには辛抱強い協力が肝要というポイントは世界中同じようです。
 また、ミレニアム・プロミス以外が運営しているミレニアム・ビレッジ(「ミレニアム・ビレッジ3」と分類され、日本政府が新たに支援する国モザンビークやカメルーンなどを含む)の代表らがマダガスカル、リベリア、コンゴなどから参加して、パネルディスカッションに参加しました。ミレニアム・ビレッジは、アンジェリナ・ジョリ氏がカンボジアに設立したほか、このようにアフリカ諸国にも広がりつつあります。
Bonsassoオフィス.jpgカカオ農園.jpgガーナのビレッジの子供たち.jpgBonsassoの子供たち.jpg
写真上左から】BonsassoのMVPオフィス、ビレッジのカカオ農園、ビレッジの子供たち
【写真下】ビレッジの子どもたち2

【ビレッジ視察】
1日目:
 17日(土)からは、希望者25名程で実際にガーナのミレニアム・ビレッジ、Kumasi(クマシ)郊外にあるBonsaaso(ボンサソ)を訪れました。クマシへはアクラから飛行機で45分、そこから車で1~2時間ほどかかります。ボンサソ・クラスターは広い地域にまたがり、民家は高台と谷間に点在しています。昔の金鉱跡がそのまま放置されているのも特徴です。視察に参加した25名は9台の車に乗り込み、車は一弾となって猛スピードで進みました。そうしなければとても1泊2日で視察スケジュールをこなせないからです。
 先ずは、ガーナ特産品であるカカオを育てている農家、パッション・フルーツを出荷するようになった農家などを訪ねて、それぞれ農家の人たちの意見を聞きました。自分たちが食べ物を作る以外に換金できる作物を育てることができるようになったことは、以前と比べて大きな成果です。
 また、ここのクリニックは、2010年2月にガーナ出身のコフィー・アナン前国連事務総長が訪れた場所でもあるためか、珍しくMVPロゴ入りのピンクのシーツがすべてのベッドに備わっていました。ちなみにアナン前事務総長がクリニックを訪れている写真が飾ってありましたが、残念ながら後ろから頬の線が写っているだけで、「これはおそらくアナン事務総長なのだろう」と想像するしかありません。こういったガーナの人々のおおらかさ(?)に思わず苦笑してしまいました。
 ちなみにモザンビークのUNDPで働いている日本人スタッフは、このクリニックで簡単なマラリア検査を受けました。彼女は機会があれば時々受けるそうで、陰性という結果がでて、ほっとしていました。マラリア検査は、指先から血をとって検査キッドに入れると15分程度で結果がでます。待つ間は他人の検査でも、胸がドキドキしてしまいました。
 私たちは、大雨の中、クリニックの軒下でクマシから持参したローストチキンとフルーツジュースのお弁当を急いで胃袋に流し込み、次の視察スポット、コミュニティ・センターへ移動しました。この中にあるパソコンセンターでは、数台のコンピュータがそれぞれがインターネットにつながり、週末にもかかわらず子供たちがパソコンを使ってゲームなどを楽しんでいました。
パソコンセンター.jpgクリニック.jpg栄養教育.jpg
【写真左から】村のコミュニティセンター(パソコンルーム)、きれいなシーツが揃ったクリニック、クリニックの栄養教育教室
2日目:

 二日目は各自の希望で何組かに分かれ視察を行いました。私はエリクソンやオランダDSMの栄養学博士たちと一緒に、クラスター外に位置するけれどMVPと連携して運営している中規模の病院を訪れました。そこではMDGs4と5に関連する小児科と産婦人科を視察しました。MVPのおかげでマラリアは減りましたが、子供たちの多くが寄生虫で入院しているということでした。母親たちの年代は10代も多く、美容院内の人手が足りず産後の処置が完璧にはなされていない様子でした。以前、アジアの発展途上国で乳幼児の栄養について博士論文を書いたDSMの博士は、若い母親たちに授乳の方法が上手に伝えられていないことを懸念していました。
小児科病棟の母子.jpg病院.jpg【写真】小児科病棟の母子
 また、小児科には入院している子供に付き添う母親に同行して幼い兄弟姉妹たちが数名集まり、大病室に備えられたテレビを見ていました。とても静かに休める状態ではありません。母親は教育を受けていない場合も少なくなく、字が読めない人もいます。そのため、別の部屋では栄養について母親達に講義するため野菜や魚の絵が壁にかかれていました。たんぱく質をとるためには魚、炭水化物はこの野菜というように構成成分によって分類されていました。
 日曜日にも関わらず、病院の担当者が出勤してくださり、経営の問題点などを教えてくれました。地方には医師や看護師などの人材がなかなかいないことが大きな問題なのです。また、MVPのスタッフは海外の大学院などで学位を取ってきた現地人が多いのですが、その下で働く地元のスタッフとの間にある知識や意識のギャップを解消する努力がまだまだ求められているようです。
【シアバター石鹸作りの現場視察】
 他の人々が週明けの19日にアクラに戻った後、私はクマシのホテルで車を雇い、一人でTamale(タマレ)というガーナの北方に位置する地方都市へ出かけました。最近できたばかりという道を約6時間かけて北上したのです。道路と言っても舗装されているわけではなく、もちろん分岐線もなく、ドライバーたちはあちこちにある大きな穴を避けて、右へ左へと路線を変えて走るのです。対向車も同じように方向を変えるので、終いには右側通行か左側通行かわからなくなってしまいました。途中、20台ほどのトラックが重い荷物を積んだまま故障して立ち往生していました。電灯がないので暗くなると道が見えなくなる上に強盗に襲われる危険性も全くないわけではないというので、ドライバーは帰路を案じてスピードを出したがります。そこを宥めたり語調を強めたりしながら安全運転をしてもらうのが、アフリカでは苦心するところです。
 朝6時に出発して何とか午後1時過ぎにタマレに着いて、ドライバーが案内するホテルに車を止めました。彼の話ではタマレで一番新しくて設備の良いホテルということですが、もちろん先進国の基準では一つ星程度の設備です。そこで渋るドライバーにお願いして、念のため別のホテルに連れて行ってもらいました。タマレでは実質上この二つしかないようです。次のホテルはロッジ風で、街中にも関わらず部屋が一軒一軒独立していました。古くて設備は悪くてもこちらの雰囲気を気に入って、ここに決めました。安全性に心配があったため、門の近くのホテルの受付がある小さな小屋から一番見えやすい部屋に泊まることにしました。後から聞いたところ、片上大使御一行もこのロッジにお泊りになったそうです。
 ところで、ここでは昨年12月に、ミレニアム・プロミス・ジャパンの支援でガーナからセネガルのビレッジまで海外出張して、シアバター石鹸作りを指導してくれたSaffia(サフィア)が、同僚と一緒にホテルまで来てくれました。みんなでホテルの庭にある大きな木の下でランチをいただきました。ドライバーが途中で消えてしまって、姿を見せたのは私たちの食事がほとんど終わったときでした。彼曰く、もう一つのホテルは食事の準備が遅いので、それを見計らってきた、ということでした。彼の食事が終わるのを待ってやっとシアバター作りの現場へ出発です。
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【写真左から】オフィスで働くアディサ、アクラにある「アフリカ2000」のオフィスの看板
 ガーナでのシアバター石鹸作りは、もともとJICAの支援でUNDP傘下にあるアフリカ2000というNPO代表のAdisa(アディサ)たちが中心になって開始しました。アディサたちは2008年の国際アフリカ開発会議(TICAD)開催時には、来日して横浜の会議場でシアバター石鹸作りのデモンストレーションを行ったそうです。サフィアはタマレでの現場の責任者というポストです。
 彼女が案内してくれた現場はタマレでもとりわけ貧しい地域で、JICAのレポートにも示されていた通り、作り方も原始的と言えるほど非常に簡素なものでした。シアの実をトン単位で買って、その中身の胚の部分を出し、熱で溶かすのです。石の上に大きな鍋を置いて、薪で火をおこします。最近はロレアルやボディショップといった世界的な美容関連メーカーから、薪ではなくガスをつかって欲しいという要望が来ているそうです。ここからは日本の有名メーカーへも出荷しています。サフィアからモリンガを使った石鹸の試作をプレゼントいただき、後から使ってみたら信じられないほどスムーズでしっとりした感触でした。これはお勧めです!
シアバター石鹸をつくるサフィアたち.jpgシアバターの仲間.jpgシアバター石鹸作り.jpg
【写真左から】サフィアのNPOの幹部たち、シアバター石鹸作りをする村人、シアバター石鹸作り
 ところで、3年ほど前に亡くなったサフィアのご主人は医師だったそうで、彼女は貧しい地域の人のために小学校や中学校を建てて校長として教育にかかわりながら、女性支援の為にシアバター石鹸作りを指導しています。後者はボランティア活動ということでした。彼女の学校には本も少ないため、
美智子皇后陛下が翻訳なさった日本の童話集『どうぶつたち』を寄贈したところ、みんなでとても喜んで読んでくれたそうです。
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【写真左から】サフィアの学校の子どもたち、皇后陛下の翻訳本『どうぶつたち』を読む子どもたち、『どうぶつたち』
 タマレから飛行機でアクラへ戻り、アクラのJICA事務所で貧しい女性たちがつくったアクセサリーを大量に買い込みました。堺市にあるUNIFEM日本事務所のイベントで使用するために依頼されたものです。これらのアクセサリーはフランス女性が指導しているそうで、なかなか洗練されたデザインですが、残念ながら日本では買うことができないそうです。一度にこんなに多くを購入してくれた人は初めて、ということもあり、JICAでは山内邦裕所長をはじめ、皆さんにとても親切に応対していただきました。
 午後はOHAYO!GHNAというNPOを主宰している田村Kazさんや彼のNPOで働く学生インターンの方々と懇談して、ガーナの事情をヒアリングしました。田村さんは旅行会社を経営しながら、長年ガーナの北部タマレ地方の村の自立支援を続けています。ジェトロハを栽培したり、独自にシアバター石鹸を作って日本へ輸出もしています。OHAYO!Ghanaで働く学生インターンの一人は、マラリアにかかり一か月間も入院した経験があるそうですが、「開発のために命をかける」と再びガーナに戻ってきたということでした。アフリカの地でこのように高い志を持った日本人の方々にお会いすると、とても励まされます。田村さんはガーナで野口英雄協会の会長もなさっているそうで、翌月、猪苗代に招かれて講演をするとお聞きし、講演会での再会を約束して別れました。
 私はその夜の便でセネガルのダカールへ飛び、夜中の一時過ぎに到着。アフリカでは飛行機の発着時刻は夜中になる場合が多く、女性のみならず一人旅はなかなか厳しいものがあります。

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