フィリピン台風被災地での交流ツアーを実施しました

タバンゴの子どもたちと2014年度にフィリピン台風被災地支援を行ったレイテ島タバンゴ町に、12月15日から6日間の日程でMPJスタッフの赤坂が有志メンバーを引率し、現地の村人との交流ツアーを実施しました。
甚大な被害を及ぼしたスーパー台風、ハイエン(フィリピン名 ヨランダ)がレイテ島を襲撃してから丸2年が経ちました。町長のMaricor Remandaban氏によると、建造物の復興は進んでいるが、主に農業と漁業にて生計を立てる村民らの仕事不足が課題になっているとのことでした。
スーパー台風により倒壊した小学校6校にMPJが寄贈した仮設校舎は、PTAなどの協力を得て壁を修繕するなどの工夫を加えながら、2年経った現在でも活用されていました。しかしながら、6校のうち海岸沿いにあるKawayan(カワヤン)小学校に寄贈した仮設校舎は、昨年末に襲来した大型台風 ピート(フィリピン名:ルビィ)による海からの強風を受けて、倒壊してしまっていました。幸い倒壊による怪我人はなかったとのことですが、残念ながらまたテントを利用しての授業を行っていました。同小学校は、ありがたいことに、他のNGOの協力により本設校舎を現在建築中です。
タバンゴ町長とまた、今回の交流ツアーでは、Kawayan小学校にて、子どもたちへのフィーディングプログラム(食料支援)を実施しました。PTAの皆さんが歓迎会を開いて下さり、子どもたちや親御さんたちが、歌やダンスを披露してくれました。昼食後は、今回寄贈したサッカーボール、フリスビー、長縄などを使って、子どもやPTAの皆さんと交流しました。
 Kawayan小学校があるSt.Rosa(サンタロサ)村では定職を持っている人が教師の2人だけで、他は漁業により生計を立てているそうです。漁業は自然災害の影響を受けやすく、今回の訪問時も台風が通過した後で、1週間の間、漁に出ることが出来ていない状態でした。Kawayan小学校では経済的な理由から卒業できる子どもは半数に満たず、家計を助ける為に、卒業をあきらめてセブに出稼ぎに出るそうです。
靴を履いていない子どもも多く、日頃の昼食(給食はない)は水を飲んでやり過ごす子も多い中、キラキラした目の子どもたちの笑顔が印象的でした。「どうしてそのような笑顔をつくることができるのか?」という問いに対し、小学校の先生が「全てに感謝し、満足しているから」と答えてくれました。朝、目が覚めたこと、家族と一緒に過ごせること、ひとつひとつに感謝し満足する習慣がフィリピン人にはあります。敬虔なカトリック信仰からくるとも言われる彼らの考え方に、今回交流ツアーのメンバーは大変感銘を受け、参加者の一人である今泉さんからは「日本人が忘れかけてしまったかもしれない、幸せに生きる方法を彼らから学んだ」との感想をもらいました。
仮設校舎建設にあたり赤坂がお世話になった村人のみなさんを訪問して歩きましたが、どこでもあたたかい歓迎を受け、フィリピン人のホスピタリティーにも感銘を受けました。ある若い夫婦の子どもの誕生日会に招いて頂きましたが、月収の半分を誕生日会に費やすといった家族愛にふれました。自分たちにとってのご馳走を、躊躇せずに訪問者にすすめるホスピタリティーに心を打たれました。
一日一日を大切に笑顔で生きるフィリピンの村人たちとの交流は、毎日が笑顔で溢れ、大変楽しいものとなりました。これからも、交流ツアーを継続し、村人から生きる知恵を学ばせていただきながら、現地に貢献して行く予定です。


マラウイ洪水被災者支援・食糧配布後のモニタリングに行ってきました!

モニタリング7月から着手したマラウイ洪水被害者支援活動は、9月26日をもって全活動を無事終了することができました。食糧配布から約2週間後に行ったモニタリングなどをご報告いたします。
マラウイ共和国ゾンバ県クントゥマンジ(Kuntumanji)地域で9月4日に食糧贈呈式、翌5日には1370世帯への食糧配布を終了し、その後、活動の効果がどのようなものだったかを調査するために、約2週間後の21日から5日間の予定でモニタリング調査を行いました。配布前に事前調査をした同地域内にある7つのグループビレッジ(いくつかの村を集めた単位)から6組ずつ、合計42組の配給対象者の各家庭に伺い、1)配布の内容、2)配給方法(持ち帰りに配慮した小分けパック)、3)現在の食糧状態、4)健康状態、5)子ども達の通学状況、6)農業従事時間などについて、 一軒一軒調査を行いました。42組中、2組は湖で漁をするためその期間は住居を移動されていたので移動先でモニタリングを行い、1組は配布後に引っ越しており不明、全部で41組のモニタリングを行いました。
笑顔調査の結果、受益者の皆さんには今回の配布をとても喜んでいただき、健康状態も良好であることが確認できました。今回、WFP(国連世界食糧計画)の配給指標を参考に、メイズ50kg・豆10kg・スーパーシリアル6kg・ベジタブルオイル1.5リットル(1世帯5人家族の1か月分の計算)を配布しましたが、食糧の質も内容も良かった、子どもたちはスーパーシリアル(子ども用の栄養食)を毎朝食べて元気いっぱい登校しているという話をたくさん聞きました。また、持ち帰り方法については、洪水後に受けたこれまでの配給(1~6月までWFPが食糧支援を実施)ではメイズの場合50kg×1袋・ベジタブルオイルは1.5リットルを1本ですが、今回は小分けにしてメイズ25Kg×2袋、ベジタブルオイル500ミリリットル×3本に分けてみました。ほとんどの方が小分けのほうが持ち帰りやすかった、保存しやすいなどのご意見をいただきましたが、配布物をまとめる袋や紐がなかったので持ち帰りにくかったとの意見もありました。物資をもちかえる人々現在の食糧状態を伺うと、ほぼミレニアム・プロミス・ジャパンの配給食糧で生活しており、多くの方が配布後2週間で残りはメイズ25kgしかないという答えが返ってきました。このような状態になる原因としては、家族数が多いことや、親戚や隣近所で分けた、食糧のコントロールができないことなどがあるようです。
今回、贈呈式から食糧配布、そしてモニタリングまで、配布対象地域クントゥマンジ地区の選出県議会議員Tambalaさん、コミュニティーメンバーリーダー14名の協力を得て行いました。地域の方に中心となって活動を行ってもらったことで、セキュリティ(配布時の混乱を避ける・食糧保管等)の面や配布対象者へのケアを安心して任せることができました。そして彼らの活動する姿からは、自分たちの地域を自分たちで支えていくという自助・共助の意識を強く感じることができ、クントゥマンジ地区の住民の素晴らしさ・力強さを感じました。
贈呈式モニタリングを行いながら、同時に各関係各所に活動報告のご挨拶に伺いました。ゾンバ県知事や福知事、国会議員、災害対策局担当官、ミレニアム・ビレッジ ムワンダマ村のチームリーダーやスタッフ、Gift of The Givers事務所のチェアマン等の皆様に、式典参加のお礼と活動の無事終了を伝え、MBC TV(マラウイ国営放送)で放映された映像を見ていただいたりしました。
リロングウェでは、在マラウイ日本大使西岡周一郎閣下をはじめ、JICAマラウイ事務所、マラウイ災害対策局局長、Save The Children(ゾンバ洪水災害担当者)にご挨拶に伺いました。在マラウイ日本大使西岡閣下からは、日本からの支援で行われたことがしっかりとアピールできたことを喜んでいただき、「ミレニアム・プロミス・ジャパンの今後の活躍に期待します」というありがたいお言葉をいただきました。
在庫確認今回の2か月間の活動中、思いもよらない様々な問題がたくさん起こりました。その度に周りにいた人々が力強くサポートしてくださり、なんとか問題を乗り越えていくことができ、無事に活動を終えることができました。マラウイからは、ゾンバ県クントゥマンジ地区の配布者の皆様はじめ、日本に対してたくさんの笑顔とお礼の言葉をいただきました。私たちスタッフも、多くの出会いと学びを得ることができ、感謝の気持ちを持ち、笑顔で活動を終えることができました。これからの日本とマラウイの関係が、より良きものになりますことを心より願っています。


マラウイ洪水被災者への食糧贈呈式&配布を行いました!

配布物資をもちかえる人々7月から着手しているマラウイ洪水被災者支援活動は、9月4日に食糧贈呈式を、翌5日に1370世帯への食糧配布を無事に終えることができました。物資調達から被災者への食糧配布までをご報告いたします。
食糧支援を行うゾンバ県北西部のクントゥマンジ(Kuntumanji)地域での事前調査を終え、私たちは県議会議員のTambalaさんにまず1000世帯分の配布者リストをいただいて一旦首都リロングウェに戻り、配布物資の調達に取り掛かりました。配布する食糧は1世帯1か月あたり、メイズ(マラウイの主食の白トウモロコシ)50kg、豆10kg、スーパーシリアル(子ども用の栄養食)6kg、ベジタブルオイル1.5リットルです。1000世帯分のメイズ50t、豆10t、スーパーシリアル(子供の栄養食)6t、ベジタブルオイル1500リットルそれぞれの見積もりを4社に依頼、各社から見積もりを検討し、メイズと豆はミレニアム・ビレッジMwandamaから、スーパーシリアルはRab Processors様(食料品や農業用品を扱うマラウイ財閥企業)から、ベジタブルオイルはOVOP様(一村一品運動)から買い付けることになりました。見積もりから予算内で、当初の予定の1370世帯分を何とか配給できることを確認し、改めて370世帯分のリストをいただきました。
MVのメイズと豆発注先の皆様には、今回の食糧支援活動にご参加いただいたことで大きな意味と成果があったと伺いました。ミレニアム・ビレッジは、今まで支援を受けていた側の人々が、同じゾンバ県で起きた洪水災害被災者の支援に関われたこと。スーパーシリアルの発注先Rab Processors様は、MPJの活動に賛同し、共に活動したいという希望があったこと(現会長のJakhuraさんはマラウイ国内で多様な支援活動を行っているGift of The Givers南アフリカNGOマラウイ支部の代表)。ベジタブルオイルは、現在日本の支援で行われているOVOPのオイル生産グループから、現在できる限りのオイルを生産・供給し、その運送にはJapan Auto Limited(軽トラをはじめ日本の中古車を販売する日本企業)様にご協力いただき、All Japan体制で取り組むことができたということなど、この支援活動に対してそれぞれの熱い想いを詰め込んだフードバスケット(食糧支援物資)ができあがりました。
配布の日程が決まり、在マラウイ日本大使館はじめ、関係各所に贈呈式のご案内をさせていただきました。災害対策局(DoDMA)局長(Director)のMs.Scholastica Chidyaongaには、現在の被災地の状況や今回の活動においてマラウイ側にも多大な協力をいただていることをご報告したところ、ぜひ列席したいと言っていただきました。
その後再びゾンバ県に入り、物資調達の最終調整や贈呈式の準備など行いました。式典直前まで物資の調達・配送・式典セッティングなどいろいろと大変でしたが、日本とマラウイ全スタッフが総力をあげ、何とか無事式典当日を迎えることができました。
3-4_食糧を渡す西岡大使9月4日(金)の贈呈式には、在マラウイ日本大使西岡閣下をはじめ、災害対策局局長Ms.Scholastica Chidyaonga、ゾンバ県、ミレニアム・ビレッジ、OVOP、Gift of The Giversの皆様からご列席を賜り、来賓の皆様の心温まるスピーチやクントゥマンジ地区の皆様の喜びのダンス&劇、西岡大使による食糧支援物資の贈呈に加えて、チランガ小学校(Chilanga primary school、今回の配布拠点)への美智子皇后陛下の英訳された本3冊とパイロット社様からのボールペン1000本の贈呈など、とても充実した式典を執り行うことができました。翌日にはその模様がMBC TV(マラウイ国営放送)で放送され、新聞&ラジオ各社も支援の様子を報道し、マラウイの皆様に日本の活動や日本のマラウイへの想いを知っていただく良い機会となりました。
3-5_食糧配布をするボランテ私たちは、マラウイ政府、ゾンバ県と協調しながら、日本の顔の見える支援を最も必要とする方々の元へ届けたいと願って活動を行いました。そして、この想いは私たちだけのものではなく、この活動に関わっていただいた日本とマラウイ双方の皆様の共通の想いとなりました。短い期間ではありましたが、強い信頼関係を築き、自分たちのできることをお互いに協力しながら行えたことは、今後の日本とマラウイの関係つくりにおいてとても意味があったのではないかと感じました。
配布スタッフ食料の配布後、マラウイの人々から台風18号での洪水被害を受けた日本の皆様へ「私たちもとても心配しています。日本の皆様に早く平穏な日が訪れますように。」というメッセージを受け取りました。このような関係が継続していけるよう、活動を続けていきたいと思っています。


【プレスリリース】マラウイ洪水被災者へ食糧支援・贈呈式を実施

MPJでは、アフリカ南東部になる最貧国の一つ、マラウイ共和国にて本年1月に起きた大洪水の被災地へ、ジャパン・プラットフォーム(JPF)の助成を受けて食糧支援を行います。

マラウイでは1月半ばに大洪水に見舞われ、マラウイ政府による非常事態
が宣言されました。MPJでは、ミレニアム・ビレッジの事務所があり、かつ、半年以上を経た現在も回復の見込みが困難で、まだ支援活動が十分に行われていないゾンバ県にて支援活動を行うことにいたしました。

詳しくは、こちらのプレスリリース20150824マラウイ災害支援活動をご参照ください。
参考:活動地域(JPFホームページ)


マラウイ洪水被災現場へ事前調査に入りました

半倒壊の家と家族首都リロングウェでの国連世界食糧計画(WFP)や日本大使館、JICA、マラウイ災害対策局への訪問、ミーティングを終え、いよいよ私たちは被災地の現場に向かいました。(写真左:被災家族への聴き取り調査の様子。家は壁を半分壊され、草で応急処置している)
マラウイの今年1月の洪水は全28県中15県にわたり広範な被害をもたらしましたが、とくに雄大なマラウイ湖から唯一流れ出るシレ川流域や、アウトフローを持たないチルワ湖岸にあるマラウイ南部の4県(ンサンジェ県、チクワワ県、パロンベ県、ゾンバ県)には被害が集中しました。その中で私たちが支援に向かったのはゾンバ県。ミレニアム・ビレッジのひとつ、ムワンダマ村がある県です。この3月にMPJユースの学生10名とともに訪れた際、ゾンバのみなさんはとても温かく迎えてくださいました。いまは、少しでもその恩返しができれば、との思いです。
ゾンバ県知事とゾンバはリロングウェに遷都する前の旧都で、首都リロングウェから車で5~6時間南に走ったところにあります。朝から走り続けて午後3時ようやく県庁に到着すると、事前にメールで連絡を取り合っていた災害対策局担当官のFlorenceさんとゾンバ県庁の事業調査・評価担当官のEricさんが出迎えてくださいました。早速今後の方針についてミーティングを行いました。到着時は外出のためご挨拶ができなかったNkasala県知事とはEricさんが翌朝早々調整してくださり、表敬訪問を果たすことができました(写真右:ゾンバ県庁にて)。
そして、ミレニアム・ビレッジの事務所にも顔を出し、コミュニティー担当として現場を取り仕切るJosephさんと再会しました。Josephさんには3月にもお世話になっていて、ミレニアム・ビレッジへの訪問・ビレッジステイを調整してくださっています。ただ今回は、ご挨拶だけではなく大切なお願いをしに行ったのです。かつて日本政府の支援で開始されたムワンダマは、いまでは農業生産が向上しWFPに支援食糧を供給するほどになっています。そこでWFPからは今回の支援食糧の調達先のひとつとしてミレニアム・ビレッジを推薦されていました。加えて、支援の配布のためにはチームで一緒に活動してくれる有能なスタッフが必要です。Josephさんはその2つのお願いに対して、すぐに調整に入ってくださいました。ミレニアム・ビレッジとの強固な絆を再認識し、とても有難く感じられた瞬間でした。
立ち枯れたメイズ畑今回私たちが食糧支援に入るのはゾンバ県北西部のクントゥマンジ(Kuntumanji)という地域で、先述のアウトフローをもたないチルワ湖岸に位置します。災害対策局およびゾンバ県庁によると、いま最も食糧支援が求められている地域がこのクントゥマンジなのです。舗装道から奥へオフロードを進むと、家や畑を流された後の野原が見えてきました。畑は、洪水で流されてしまった後に耕作をし直したものの、一転襲いかかった少雨のために立ち枯れてしまった所も多く見られました(写真左:枯れてしまった主食のメイズ(白とうもろこし)畑)。
土地を追われた家族お年寄りへのヒアリングさまざまな場所を手分けして訪れ村人のみなさんのお話を伺うなかで、着の身着のままの老人や家を失い草でつくった仮の家に住まう家族(写真右)、離婚してなお多くの子どもを養う母親など、さまざまな苦しい立場に置かれた人びとに出会いました。
マラウイ政府は、第一にこうした高齢者、子ども、孤児、社会的弱者へ支援を届けることを基本方針としています。私たちは、マラウイ政府、ゾンバ県と協調しながら、日本の顔の見える支援を最も必要とする人たちの元へ届けたいと願っています。


洪水被災者支援のためマラウイに入りました!

MPJとMPJユースの会は、この3月に、サハラ砂漠以南アフリカ南東部内陸部の最貧国(一人当たりのGNI:270米ドル*)2013年:世銀)であるマラウイ共和国を訪問しました。(MPJユースのマラウイ研修報告(1)(2)(3))その際、私たちは今年1月に起きた大洪水の被害から被災地がいまだ立ち直っていないことを知りました。日本は政府としてすでに、国際協力機構(JICA)を通じ、1,900万円相当の緊急援助物資(テント、毛布等)を供与していますが、日本のNGOとしてもなにかできることはないかと考え、3月末にはジャパン・プラットフォーム様に出動趣意書を提出し、MPJもマラウイ支援に向けて準備を進めておりました。
WFPの方とそして少々遅くなりましたが、この度7月30日、食糧支援のため2人のMPJスタッフ(伊藤正芳、田村美津子)がマラウイに入りました。早速、WFPマラウイ事務所を訪問し、今後のMPJの食糧支援活動について話し合いました。WFPマラウイ事務所の所長は日本人の牛山ココさん。そして、青年海外協力隊員の張本ゆわさんも、ここで活躍しています。WFPでは1月の洪水に加え、ここ数年のエルニーニョ現象の影響で深刻な干ばつが続き、いまは2001年の食糧危機の再来を想定していることを伺いました。
日本大使館にて続いて、在マラウイ日本大使館やJICAマラウイ事務所にも表敬訪問をいたしました。じつは、伊藤も田村もマラウイでの青年海外協力隊員の経験があり、大使館でもJICAでも温かく迎えていただきました。そして西岡大使からは、政府間の支援に加えて、民間NGOによる支援が入ることの重要性について強調をされていましていただきました。私たちも、協力隊のときから培った「顔の見える支援」に多少なりとも寄与したいと心を新たにしました。
災害対策局にてそして最後にマラウイ災害対策局(Department of Disaster Management Affairs)にも伺い、これから向かう被災地現地での連携について相談をしました。温かく出迎えていただいたPrincipal Relief OfficerのFyawmpi Mwafongoさんは、ゾンバ県知事との面会から具体的な物資の輸送などの実務面においても、すみずみまでサポートを申し出てくださいました。彼は日本にも研修で訪れたことがあり、「Arigato-Gozaimasu」と日本語で語りかけてくださいました。私たちにとっても、心強い限りです。
マラウイは「ウォーム・ハート・オブ・アフリカ」といわれる平和なひとびとの国です。このアフリカの友人に対して、日本もオール・ジャパンで援助活動を行い、ますますの相互理解と交流を深めていきたいと、私たちは願っています。

【写真上】WFPマラウイ事務所にて、牛山所長(左)、青年海外協力隊員として入っている張本さん(右)と、MPJスタッフの田村(中央)
【写真中】在マラウイ日本大使館にて、西岡大使(中央右)と坂本一等書記官(中央左)を囲んで
【写真下】災害対策局にて、Principal Relief OfficerのFyawmpi Mwafongo氏と

*出典:世界銀行、2013年。


第26回MPJ研究会のご報告「台風30号で被災したフィリピン国レイテ島タバンゴ町の小学校復興事業」

DSC_0003MPJでは、去る7月8日(火)、MPJが実施した「台風30号で被災したフィリピン国レイテ島タバンゴ町の小学校復興事業」に取り組んだ赤坂友紀氏が、第26回MPJ研究会としてその報告を行いました。赤坂氏は、台風30号(スーパー台風 ハイエン)がフィリピンに被害をもたらして以降、何度もフィリピンに渡航し、「何かできることはないか」という気持ちで活動してきました。そのようななかMPJと巡り合って当事業に取り組み、その熱意で現場を巻き込んで事業を完遂しました。今回のMPJ研究会では、それまでの経緯から始まり、当事業の企画、ジャパン・プラットフォームへの助成申請、事業の実施までの一部始終、そしてそこからの学びを報告しました。

発表後の質疑応答では、さまざまなバックグラウンドをお持ちのみなさまから、たとえば東北の被災地との重ね合わせながらなど、各々の思いのこもった質問が発せられました。それらの対話を通して、フィリピンの被災地のひとびとが苦難に立ち向かう姿からの学びも、さらに深いレベルで共有されたように思われました。

第26回MPJ研究会報告書はこちら第26回研究会レポート


MPJが復興支援したフィリピン・レイテ島タバンゴ町の小学校を再訪しました

tabaylaES10月8日から10日間、フィリピン台風被害復興支援事業地のレイテ島タバンゴ町を、同事業派遣スタッフの赤坂が訪問しました。5月に完成した仮設教室を視察しましたが、建設した6教室全てが有効に活用されている事を確認できました。
本事業では出来る限り多くの教育環境を整える為に、本設教室も建設可能であった予算を地元の皆さんと協議・分配し、仮設教室の建設を実施しました。基礎は本設並みとし、追々地元の予算で改築し環境を改善して行くという約束でいましたが、この数ヶ月間で、早速改築されている教室がありました。

tahadES_完成時とAfter2low山奥にあり雨が降ると車が入る事ができず、カラバウ(フィリピンの牛)や人力で資材を運び、もっとも建設が難しかったTahad Elementary School(タハド小学校)では、1/3が吹き抜けであった壁を、PTAのみなさんがボランティアで竹材を利用して改築して下さっていました(右の2枚の写真を参照ください。上は吹き抜けのまま、下は竹材での改築後)。厳しい道路環境から、支援の届きにくいTahadでは特に喜んで活用して下さっており、感慨深いものがありました。また、町中にあるTabango Central School (タバンゴ中央小学校)でも床にコンクリートを流し込む計画があり、近日中に実施される予定とのことでした。このように、地元とMPJが協力し合ってプロジェクトを実施できている事がとても嬉しく思います。

book2_KawayanESmayorまた、町長さんと子供たちに、皇后陛下が翻訳されたご本をお土産としてプレゼントしました。早速先生が子供たちに読み聞かせを行い、日本から届いた本に子供たちは目を輝かせていました。これからも僅かではありますが、日比の友好関係の一助として貢献して行きたいと思います。


フィリピン・レイテ島タバンゴ町の小学校復興事業が完了しました!

フィリピン報告4_完成した教室2014年5月、ミレニアム・プロミス・ジャパン(MPJ)では、フィリピン・レイテ島の北西部タバンゴ町にあるハイエン台風により全壊した公立小学校6校(Colonia, Inangatan, Kawayan, Tabango Central, Tabayla, Tahad)を対象に、仮設教室の建設を実施しました。

今年2月の現地視察(http://sdgspromise.org/archives/6288)を経て、ジャパン・プラットフォーム(JPF)の助成金をいただき、MPJの災害復興支援事業の一環として、国際的支援から取り残されていた小さな町「タバンゴ町」への復興活動を実現することができました。

フィリピン報告1_水牛で資材MPJからは赤坂友紀と江藤誠一(MPJ技術顧問)が現地に出向き、赤坂は立ち上げから完成まで事業を監督いたしました。教育責任者、校長、PTA、町役場建設課の皆さまをはじめ学校に関わる沢山の方々とともに、MPJにて建設委員会を立ち上げ、細部にわたって相互に協力しながら推進することができました。町役場の建設課、各校校長の皆さまがボランティアで現場監督などを行ってくださったことにより、思いがけず予定より多くの校数を建設でき、町の皆様からも大変感謝していただきました。実は、タバンゴ町周辺は第二次世界大戦の激戦地でもあり、歴史的に日本へのわだかまりも残っているようですが、和気あいあいとお互いにアイデアを出しながらプロジェクトを進めることができ、わずかながら比日間の友好にも貢献できたことを願っております。

建設地の中には、雨が降ったら3日ほど交通が遮断されてしまうような僻地もありましたが、トラックが入ることができない3キロの道のりを水牛と人が資材を運ぶなど、日本では想像できないような作業も地元皆さまのご協力でスムーズに進めることができました。仮設教室という名称ですが、現地ではセミ・パーマネント(半永久)と呼んでくださり、今後も愛着をもって大切に利用して頂けることを願っています。

完成した仮設教室で学ぶ子どもたち
完成した仮設教室で学ぶ子どもたち
地元の校長先生方に囲まれて
地元の校長先生方に囲まれて
タバンゴ町長Remandaban氏(左)から感謝状を手渡される理事長の鈴木
タバンゴ町長Remandaban氏(左)から感謝状を手渡される理事長の鈴木
Kawayanに掲げられた江藤・赤坂への感謝ポスター
Kawayanに掲げられた江藤・赤坂への感謝ポスター


























チェロの女王ワレフスカ氏による復興チャリティ・コンサートを無事に終了しました!

【ワレフスカ氏と福原氏】
【ワレフスカ氏と福原氏】
ミレニアム・プロミス・ジャパン(MPJ)は、去る3月22日(金)、東日本大震災被災地の復興支援イベントとして開催された「スペシャル・チャリティ・コンサート チェロの女王クリスティーナ・ワレフスカ氏を迎えて」(アークヒルズクラブ主催)を後援いたしました。このスペシャル・イベントにはMPJが企画から関わり、アメリカ大使館の後援もいただき、ルース大使ご夫妻や近藤文化庁長官など著名な方々のご臨席も賜りました。
 
ワレフスカ氏はロサンゼルスにて、楽器商の父とバイオリニストの母の間に生まれました。16才で奨学金を得てフランスへ渡り、パリ音楽院にてアメリカ人として初めてチェロと室内楽の部門において首席で卒業しました。[/caption]
【ルース大使ご夫妻とアーティスト】
【ルース大使ご夫妻とアーティスト】
著名なピアニストであるアルトゥール・ルービンシュタイン氏は「私をはっとさせた唯一のチェリストだ。」と、彼女を称賛されています。ワレフスカ氏のチェロは世界に2台しかないという1740年のベルゴンツィ。当日の演奏曲目は「ハバネラ風の小品」(ラヴェル作曲)、「ソナタ イ長調から」(フランク作曲)など、アンコールを含めて6曲でした。アークヒルズクラブの会場は、赤井勝氏による桜の女王「陽光桜」の装飾や夜景を背景にロウソクの光が揺れる幻想的な雰囲気に包まれ、心に沁み渡るようなチェロの音色が響きわたりました。そして、約50名のゲストの皆様が、口々に「感動した」とおっしゃってくださいました。また、ディナーのワインは、ピーロート・ジャパン株式会社がご寄贈くださいました。
 

参加費15,000円のうち4,000円は、アークヒルズクラブからMPJへご寄付いただき、その総額をMPJからアメリカ大使館の復興支援事業である「TOMODACHI事業」へ寄贈いたします。
 
ピアニストは、ニューヨーク在住の福原彰美氏。
当日の曲目やアーティストの紹介はこちらをご覧ください。ワレフスカ氏コンサートチラシ