【復興支援】「チーム恵比寿」の弾丸バスツアーご報告

昨年暮れのこととなりますが、ミレニアム・プロミス・ジャパン復興コーディネーターの本間真理子が、「チーム恵比寿」の弾丸バスツアーに参加してまいりましたので、ご報告いたします。

*********

【陸前高田に到着しいよいよ活動開始】
【陸前高田に到着しいよいよ活動開始】
 
 東日本大震災の発災から1年10ヶ月以上が経ちました。歳月が経過しても復興の兆しを見い出だすことが難しい被災地では、長引く不自由な生活に、希望を失いかけている人々も少なくありません。

すでにご報告の通り、MPJはアフリカ支援に特化していた定款を変更し、被災された東北の方々に少しでも笑顔を届けるために、支援活動を行って参りました。
 
2011年の年末は、陸前高田市のクリスマス・年越しイベントの企画・実施に協力致しました。大晦日の花火の打ち上げ、元日のチャリティランには北岡会長、鈴木理事長はじめMPJのスタッフが主体となってイベントを盛り上げ、被災された方々と共に過ごしました。
 
昨年2012年は、長期化する避難生活で難しい課題が山積する被災地の変化する状況ので下、MPJは小規模でも、地道に継続され、被災者に喜ばれている活動へと支援をシフトしました。その中で実現したのが「チーム恵比寿」との連携でした。
 
「チーム恵比寿」の代表を務める加倉井昌幸さんは震災後間もなく整体師仲間と支援活動を開始。刻一刻と変化する環境に丁寧に寄り添いながら、避難所、仮設住宅をほぼ隔週おきに訪問し、整体と同時に心のケアを提供し続け、現在は整体師、美容・理容師、ネイリスト、ミュージシャン、マジシャン、バルーンアーティスト、落語家さんなど多彩なタレント150名を超すメンバーで活動しています。
 
MPJは彼らの訪問が円滑に行えるよう2012年5月以降の訪問から参加し、仮設住宅での受付業務や傾聴などを行うサポートスタッフとして活動しています。
 
1回の訪問に使える時間は30時間です。深夜12時に恵比寿に集合し、施術に使用するベッドや資機材を積み込んだ小さなマイクロバスに乗り込み、8時間近くをかけて移動。丸一日活動した後に同じバスで戻り、始発が動き出す早朝6時に恵比寿で解散します。

極限状態にある被災地で活動を継続するのは簡単ではありません。受け入れを拒否される団体も少なくない中、訪問時の細かな配慮がメンバーに徹底されているために、喜ばれ、要請を受けて訪問回数を重ねています。
 
MPJは献身的なボランティアを根気良く続けて来た彼らの熱意に敬意を表して、「2012年クリスマス陸前高田・大船渡ツアー」に大型バスのサプライズプレゼントを贈りました。

12月23日の深夜。恵比寿駅に集合したメンバーからは大きな歓声が上がりました。「活動を始めて1年9ヶ月、こんな大型バスで訪問できる日がやって来るとは想像も出来なかった。」「歴史的な日だ。夢のよう」「続けてきて良かった」バスの中には歓喜の声とともに、MPJへの感謝があふれていました。

彼らの喜びに満ちたエネルギーは施術を通じてそのまま被災地の方々へと伝達され、被災地へのクリスマスプレゼントとなったことは言うまでもありません。そして、これからもボランティア活動を継続するための励みとなりました。

【釜石でのワイン配布】
【釜石でのワイン配布】

クリスマス。もう一つのプレゼント。それはワイン発祥の地、グルジアからのワインのプレゼントです。MPJの復興支援コーディネーターを経た後、現在、私(本間真理子)はご縁を頂き、グルジアに30ヘクタールの葡萄畑を所有しています。これからワインの仕事を通じて被災地に1000人の雇用を生み出そうと頑張っています。

昨年末、自社の初めてのワインが出来ました。まず被災地の人に味わって頂きたいと願い「Wine for Two」というキャンペーンを立ち上げました。100%無添加の美味しいグルジアワインを1本お買い上げ頂く毎に被災地にもワインが1本プレゼントされるという仕組みです。この提案に最初に賛同し、個人的に参加して下さったのがMPJの北岡会長ご夫妻でした。短いキャンペーン期間にも拘らず、お蔭様で1200本のワインを釜石、大槌、陸前高田、大船渡へお届けすることが出来ました。「Wine for Two」にご賛同・ご参加下さった皆様に心から御礼申し上げます。

【大船渡中仮設でハワイアンムードいっぱいのクリスマスパーティに思わず笑顔があふれます。】
【大船渡中仮設でハワイアンムードいっぱいのクリスマスパーティに思わず笑顔があふれます。】

クリスマスにワインをお届けした仮設住宅の集会所では、心のこもったワイン会を開くことが出来ました。
 
大船渡中の仮設で会ったHさん。
「震災前は家事に加えて、家業のクリーニング点の切り盛り。人が働いているときに働き、休んでいるときにも働いた。それでも何をやっても否定される毎日だった。ストレスのために過去に3度も入院した。津波がフレームをすべて流してくれた。昔からのしがらみも権威もすべてを流してくれた。薬も流されて、初めて薬を飲まない生活をしている。もらった命だから人のために出来ることを精一杯やりたい。」

そう語るHさんは、現在は仮設を訪問するボランティアの受け入れ窓口となり、住民たちの世話を進んで引き受けています。津波で新しい命をもらったと自信をもって語る笑顔が印象的でした。
 
釜石市では継続が危ぶまれていた「石屋イルミネーション」というクリスマスイベントが、全国から寄せられた善意の支援で震災後も継続でき、地元の方々を励ましています。今年はグルジアワインのプレゼントも実現しました。渡されたボトルを抱えて、輝くイルミネーションに照らし出される皆さんの笑顔を拝見し、これからも継続して行きたいと思いました。

【間もなく解体が始まる旧陸前高田市役所前で合掌】
【間もなく解体が始まる旧陸前高田市役所前で合掌】

陸前高田では年末から旧市庁舎の解体が始まり被災の記憶の風化が危惧されています。尊い犠牲の上に学んだ数々の教訓は決して忘れてはなりません。たとえ地球上のどこであっても、不自由な生活を余儀なくされている方々がいる限り、今後も出来る限りの支援を続けていく必要があると感じています。


【復興支援】「癒しのプロ集団チーム恵比寿」の被災地での支援活動に協力しました!

【チーム恵比寿の皆さん】
【チーム恵比寿の皆さん】

ミレニアム・プロミス・ジャパン(MPJ)では、「癒しのプロ集団チーム恵比寿による2012年12月23日出発2泊3日弾丸ツアーを支援しました。
「癒しのプロ集団チーム恵比寿」は、東日本大震災以来、整体、足裏、ヘッドマッサージ、ネイル、ヘアカット、音楽など、それぞれの専門性を活かしたボランティアの方々が、毎月2回ほど定期的に被災地を訪問し、被災された方々のストレスを緩和するために活動を行っています。フラダンスやコンサートなども現地で開催して、喜ばれています。彼らは東京から夜行バスで被災地へ出かけ、夜行バスで帰京します。チームの活動はすでに1年半も続いています。MPJでは彼らの主旨に協賛して、肉体的にも披露が重なっている皆様の負担を軽減するため、大型バスのレンタル代を提供いたしました。
 
以下はFacebookページに掲載していただいた文面になります!

 
【御礼】「陸前高田・大船渡・釜石・大槌 4ヶ所同時開催 弾丸ツアー」
今回の「癒しのプロ集団チーム恵比寿」のクリスマスのイベントを実施するにあたり、東日本大震災支援として、ミレニアム・プロミス・ジャパン様(鈴木りえこ理事長)より、チーム恵比寿の活動支援となる大型観光バスの車輛代をご負担いただきました。被災地までの快適な移動により、各活動場所でのボランティア活動を無事終了することができました。鈴木様および、ミレニアム・プロミス・ジャパン様にはこの場を借りてお礼申し上げます。
 
詳しくはコチラをご覧ください。


岩手県遠野市にて障害者雇用を視察しました!

 ミレニアム・プロミス・ジャパン(MPJ)では、復興支援の一環として岩手県釜石市に隣接する遠野市にて、障害者雇用に関して(有)多田自然農園とLLCグリーンケアを訪問させていただきました。

 

・障害者の雇用に関して

【障害者の方たちと作ったパン】

  障害者を雇用する形態にはA型とB型の2種類があります。A型事業とB型事業の主な違いは雇用契約の有無、つまり事業者と利用者の雇用関係が成立しているかいないか、という点です。工賃はA型にもB型にも支払われますが、A型事業の対象は「通常の事業所で雇用されることは困難だが、雇用契約に基づく就労が可能な方」であり、B型事業の対象は「通常の事業所で雇用されることは困難で,雇用契約に基づく就労も困難な方」になります。グリーンケアではA型で雇用しているそうです。B型は社会福祉法人などが行っていて、たとえば軍手や印刷工場などがあります。B型ですと雇用契約として成立していないので、仕事をすることで利益を追求するわけではなく、施設も国からの補助金で成り立っています。したがって、B型で働く雇用者の給料は低くなり、時給80~120円程度だそうです。多田氏はそれでは障害者の自立にならないと考え、健常者と同じ賃金、時給653円(岩手県の最低賃金)で雇用しています。

半年間の準備期間を経て、この取り組みは7月から始まりました。障害者を雇用するには様々な規定があります。休憩室、男女更衣室等の設備のほか、精神衛生看護士、協力医療機関等の整備も決められています。ハローワークから募集をかけると3日間で定員の20名を超える応募がありました。中には釜石市から応募してくる人もいました。現在は、精神疾患、精神面の障害者を中心に20名を受け入れています。

 

 

・一人一人に適した仕事を

 障害者の雇用は一筋縄ではいきません。一人一人に適した仕事を与えなければならないからです。他人と強調して働くことができる人もいれば、出来ない人もいます。1時間しか集中して仕事のできない人もいます。時には予期しない事故が起こることもあります。草刈り機を使わせるのは危険だと思い、鎌で草を刈らせていると間違えて手を切ってしまったのだそうです。でも、危険だからとやらせずにいると、仕事の範囲は狭まってしまいます。自分の身を以て知ることで気を付けて物を扱うようになり、集中力も身に付くのです。本当に一つ一つを体験させ、障害者の方が自ら学んでいくのをじっと待つことが大切です。

 課題は、彼らの中には与えられることに慣れてしまって、権利を主張してばかりいる人がいることです。しかし、今まで働いていなかった障害者の方々は、ここで働くことで変化が見られました。先ず、顔つきが変わりました。居場所があること、仕事をすることで自分の存在価値を見出しているようです。

 

・グリーンケアとは

 グリーンケアは障害者に特化した人材育成、派遣を行う合同会社です。ここでは、グリーンケアから多田自然農園へ障害者を派遣する形をとっています。

  【チーズ工房建設中】

 

・なぜ障害者を雇用しようとしたのか

 多田氏は障害者を雇用しようと思って雇用をはじめたわけではありません。農家の経営者は65歳以上が65%を占めていますから、このままでは将来的に労働力の不足が危ぶまれます。実際に、年々農地が荒れてきています。そこで労働力不足解消のために、障害者の雇用を考えたわけです。
 

・今後の事業展開

 障害者雇用の受け入れのモデルケースとしたいと願っています。障害者雇用促進法においては、企業に対して、雇用する労働者の1.8%に相当する障害者を雇用することを義務付けています。しかし、通常の会社で障害者のためのトレーニングを行い、雇おうとするとても難しいのです。よって、グリーンケアのように専門性をもって受け入れるところが必要だと感じています。グリーンケアが障害者雇用のモデルケースとなるよう成功させなければいけないと自負しています。現在、農業の他、パン、バターを生産し、チーズ工房を建設中です。今後は豆腐、漬物、チーズ、スイーツも生産していくつもりです。 多田自然農場とグリーンケアには、全国から視察団が訪れているそうです。障碍者の方々は、視察にも慣れ、私たちが挨拶すると、笑顔で答えてくれました。

 

【すっかりきれいになった釜石市内】

・瓦礫もなくなりすっかりきれいになった釜石市内

 

 遠野市での視察ののち、釜石市内の様子を車で視察しました。瓦礫は除去され、震災直後と比べると見違えるほど整備されていました。通常営業を始めた店舗もありましたが、バスやワゴン車で営業しているような飲食店も見られました。建設中の建物も多く、これからの更なる復興が期待されます。

 

 今回、視察で多田自然農場の多田克彦様には大変お世話になりました!

 被災地支援や障害者の雇用はアフリカ支援とも共通する部分もあり、大変勉強になりました。今後も協力してお互いの活動に活かしていけたらと思います。


チーム恵比寿の活動@陸前高田市に参加しました!

ミレニアム・プロミス・ジャパン復興コーディネーターの本間真理子が、「チーム恵比寿」のサポーティング・スタッフとして彼らの活動に参加してまいりましたので、簡単に彼らの30時間をご報告いたします。
<チーム恵比寿の活動>
東日本大震災以来一年間、整体、足裏、ヘッドマッサージ、ネイル、ヘアカット、音楽など、それぞれの専門性を活かしたボランティアの方々が定期的に被災地を訪問し、被災された方々のストレスを緩和するために癒しの活動を行っています。
<訪問実施まで>
現在、200名以上のボランティアがメンバー登録している会員限定のフェイスブック上で、訪問の日時の告知と募集を行い、仕事の調整が可能なメンバーが参加表明を行います。参加メンバーの顔ぶれで提供できるメニューを判断し、調整役の「リーダー」が訪問先との連絡調整を行っています。

<30時間の弾丸訪問>
活動前日の真夜中にチーム恵比寿の事務所である「癒し処元気」@東京恵比寿に集合。ドライバーボランティア以外、全員一人8,000円の参加費を払っての参加します。夜行バスの事故を受けて、現在は安全確保のためにドライバーは必ず2名以上で交代しながら移動します。参加者は受付を済ませてからマイクロバスやハイエースなどのレンタカーに乗り込み一路訪問地に向かいます。午前7時半頃、活動地に到着。コンビニで朝食と昼食を購入し、それぞれチーム単位で指定の仮設や施設に向かい、終日活動行います。原則、午後5時過ぎに撤収。全員揃って夕食を取り、入浴するなどした後、帰路へ。出発地の恵比寿駅に早朝5時に戻り、各自、始発電車で職場や自宅へと向かいます。
<6月4日訪問>
総勢33名が参加。大阪や名古屋からの参加者を含む33名が参加。資料のスケジュールに従い大船渡・陸前高田の5ヶ所で活動。今回、フラダンスチーム「フラ ハーラウ オ マカナニ」が現地で合流参加。4ヶ所でフラダンスを披露した。
<本間真理子の活動概要>
MPJからはサポートスタッフとして本間真理子が参加。サポートスタッフは整体師、ネイリストなどが円滑に活動できるようにロジの手配や被災者の方々の要望を伺い、施術時間の調整を行うという重要な仕事を行う。人気の高いメニューを不満が出ないように配慮して時間内に収めることが非常に神経をつかう繊細な役割と実感。佐々木さん、菊池さん、及川さん、佐藤さんなど同じ苗字の方が多く、混乱しないように注意している。今回はおよそ100世帯が暮らす「高田高校仮設住宅」で終日サポート業務を行った。
①高橋潤先生による「加圧・ストレッチマッサージ」
高橋先生は自分でもできるストレッチの方法などを教えながら手際よく、丁寧に17名の方々に施術を行った。施術を受けた方々は口々に「痛みが取れた」「肩が上がるようになった」「楽になった」とお礼の言葉を述べていた。

終了時間間際になり、時間休を取り会場に駆けつけた方がいらっしゃった。震災後、全身の疲れが取れず、体中が痛い。今日はどうしても施術を受けたくて休みを取ったそうだ。
すでに予定時間を過ぎていたが、高橋先生にお願いすると、気持ち良く施術を引き受けて下さり、とても喜ばれた。

②荒木恭子先生による「ネイル」
花やストーンなどのモチーフを合わせたおしゃれなネイル、ハンドマッサージなど16名の方々に施術。ネイル初体験の方が多い。施術に要する時間は20分でその間、穏やかな会話が癒しに効果的だと感じた。施術後、爪先に明るい色が入るとどなたも例外なく華やいだ気分になる様子が伝わってくる。

83歳の女性が勧められてネイルを初体験。好きな花の色を聞かれて「紫」と即答。紫の花のモチーフをつけてもらい、完成後、お孫さんに写メを撮影してもらい、遠くに暮らす親戚に送っていた。

③フラダンスチーム
11時半の開始予定なのに、11時前には在宅するほとんど全員の方々、50名以上の方々が参集。今か今かと待ちわびている様子。フラダンスチームの皆さんにお願いして開始時間を繰り上げてもらう程だった。ショーが始まると鮮やかな衣装とハワイアンミュージックで会場は一瞬に南国ムード。衣装の早変わりも見事で優雅で美しいパフォーマンスに全員が夢心地。
「見上げてごらん空の星を」では被災された方々の心情に寄り添う歌詞に感極まって涙する方も多く感動的だった。アンコールも含めて8曲のショーの終了後も長い間、記念撮影と交流が続いていた。
フラダンスチームのメンバーに9歳の遠藤ココロさんがいた。9歳にして素晴らしい踊り手で会場から賞賛の拍手が鳴り止まなかった。遠藤さん一家は昨年の「サンタが100人やってくる」にも参加し陸前高田などを訪問した。母親のかおりさんは遠野市の出身で、この日は遠野の実家からも家族が応援に駆けつけた。滝の里工業団地への移動の前に、かおりさんは「これまでチーム恵比寿の継続的な活動のお陰で私たちもこのような機会を頂くことができました。心から感謝します」と謝辞を述べて下さった。

<皆さんの声>
(チーム恵比寿は活動中、特にインタビューを行うことはしません。自然な会話から拾ったいくつかの声を記録します。)

・ 震災の前々日に大きな地震があり、大騒ぎして避難したが何も起きなかった。3.11の当日もまたかと思い、「どうせすぐ帰ってくるから」とティッシュひとつしか持ちださなかった。ぜーんぶ無くしました。こんなことになるとは夢にも思わなかった。30代の女性
・ 何もかも無くした今の楽しみは花いじり。時間があれば花壇に行っています。60代女性
・ 象のタオル人形「がんばる象」*を作ると1つで100円の工賃がもらえる。孫にお小遣いをあげたいので4月は頑張って150個作った。先月は材料のタオルが届かず残念だった。80歳代女性
*関西のNPOの支援活動。完成後、500円で販売。
以上


「陸前高田に贈るフルコース」終了御礼

日本IBM㈱さま、サントリーホールディングス㈱さま、㈱グラント・イーワンズさまをはじめ、皆さまのご協力のお蔭で、岩手県陸前高田市における年末年始の復興支援プロジェクト「陸前高田に贈るフルコース」が無事に終了いたしました! このプロジェクトの主催はチーム・クレッシェンド(http://team-crescendo.net/)で、MPJ復興支援コーディネータの本間真理子が発起人となっています。MPJでは会長・北岡伸一、理事長・鈴木りえこ、本間真理子をはじめインターン2名の計5名が現地に赴き、陸前高 田市の皆様と活動を共にさせていただき、年末年始を過ごしました。 たくさんの笑顔を陸前高田にお届けすることができました!詳しくは下記報告書をご一読ください。

陸前高田へ贈るフルコース報告書

●メディア掲載

・2011年12月31日  読売新聞

・2012年1月1日  朝日新聞  読売新聞  NHKニュース  NHKラジオ

・2012年1月3日  日経新聞・被災地写真特集「絆を胸に復興誓う新年」   岩手日報「豊富胸に全力ラン」

・2012年1月5日  TV朝日・報道ステーション  日本テレビ系列TV岩手ニュースプラスワン  フジテレビ系列めんこいTVスーパーニュース

・2012年1月6日  TBS系列IBC岩手放送ニュースエコー

など、新聞・TV等で報道して頂きました。

 


東日本大震災被災地支援プロジェクトのご報告

大晦日と元旦に陸前高田の支援活動に参加しました。以下、彼のルポをご覧ください。

******

大晦日の12月31日、関東圏、名古屋、関西圏など各地から、総勢63名が集まり、東京駅からチャーターバスに乗って陸前 高田市へと向かいました。
今回、ボランティア・リーダーを務めてくださったのが須合啓氏で、彼は 「夢枕プロジェクト」を設立して震 災直後から被災地や被災された方々を支援をされている方で、強い熱意を抱いた教志(師)です。そのため、日頃から彼を慕う教 師の方々も数多く集まってくださいました。
被災地へ向かうバスの中では、隣の席の人と握手したり、24時間以内のグット&NEWをシェアリングしたり、マ イクを使っての全員の自己紹介、しおり作り、DVD鑑賞など、仲間たちと思いを共有し、それぞれの気持ちを高 めていきました。

バスにゆられること8時間、夜になって陸前高田市に到着。暗くて陸前高田市の状況を見ることはできませんで した。ただし、街灯がなく真っ暗だったので、星が非常にキレイに輝いていたのを覚えています。
花火が打ち上がる23時まで、翌日の“らんら んランニング♪”のサプライズ、モザイクアートの準備を進めました。
23時ちょうど、河川敷で、秋田県大曲の花火師さんらが製作した1,000発の鎮魂の花火が澄み切った夜空に打ち あがりました。内閣総理大臣賞を受賞した花火師さんらが、費用を度外視して日本一の花火を打ち上げてくだ さいました。

【写真】陸前高田で大曲の花火師によって打ち上げられた花火 撮影:安田菜津紀氏

花火を見て涙を流す人、遺影と共に家族で見る人など、胸に刻みつけるように見入って方々などが多くいたのが印象 的でした。
宿舎にもどってから、ボランティアスタッフ全員が集まり、手を繋いでカウントダウンをして、年越しそばを 食べました。その後、若い世代が中心となってモザイク・アートの準備を進めま した。

 

 【写真】北岡会長と大曲の花火師の方々

 1月1日・元旦
朝6時に宿を出発。
全員でコースの下見を兼ねて、箱根山付近にて朝日を鑑賞。日が昇るにつれて、陸前高田市の全容が徐々に姿 を現していきました。
がれきの撤去がほぼ終わってさら地になった土地と、山のように積み上げられたがれき。
山 を下りてランのコースを下見しながら歩いていると、まだ撤去されていないボートや、流されてきたものが残 っていました。

会場となっている「市立米崎中学校」に戻って、「陸前高田に贈るフルコース」のフィナーレを飾る“らんら んランニング♪”の準備をしました。

当日参加もOKということで、数十名の当日参加者が集まり、総勢250名あまりの老若男女、幅広い陸前高田市 民が集まり、米崎中学校~箱根山間約6㎞を走ったり、ウォーキングをしました。途中、みんなで声を掛け合 い励ましあいました。

 

 【写真】“らんら んランニング♪”のスタートの瞬間

 

ランとウォーキングを終え、11時半ごろ会場に戻ると豚汁が振舞われるとともに、体育館では、A4用紙約3,000 枚を使って製作したモザイクアートが完成してありました。2階から見下ろすと、体育館の床に広がったその大 きさに目を奪われました。
63人のボランティアスタッフみんなで作った「絆」の証で、一つの作品をみんなで作り上げる一体感をともに味 わいました。

 

 

【写真】完成したモザイクアートと、ボランティアスタッフで集合写真

 

元旦のお昼過ぎ、陸前高田市を離れる前に、高田松原で津波に流されずに唯一残った「奇跡の一本松」を観る ことができました。
津波にも負けず、たった一本、力強く立ちそびえていましたが、残念ながら、松の根が腐
り生育が困難になっている、との報道がなされました。
ただし、その子孫が残されることも発表されています 。
この「奇跡の一本松」の辺りにはガレキの集積所になっており、陸前高田市のガレキが集まっていて、震災の 被害の大きさを感じられる場所でもありました。
帰りのバスでは、二日間でそれぞれの感じたことを発表し合い、10年間続けて行きましょうと誓い合って解散 となりました。

2日間の活動を経て、震災から9か月が経過した陸前高田市を訪れ、
震災の傷跡が未だに残っているなという印象を受けました。
関東では、震災のニュースが日に日に減っていく中で、現地では現在進行形だと感じました。
ただ、笑顔が素敵な人がたくさんいて、現地の人は決して沈んでいるわけではなく、
前を見て歩いている感じがし、何かしらの形で東北に関わっていきたいと強く感じました。
なお、今回のイベントの模様は以下の動画で一部見られます。
またGalleryの方でも今回の写真を載せています。

111231_鎮魂・新生の花火@陸前高田

 


『負げねぞ、東北!』被災地支援事業視察のご報告

MPJは3.11の東日本大震災を受け、6月の総会で定款を変更して事業の範囲をこれまでの途上国支援・人材育成に加えて国内外の災害救援まで拡げました。
そこで、今後の事業展開の参考とするため、7月23日から3日間、西アフリカ酪農プロジェクトのビジネスパートナーであり、岩手県遠野市を拠点に震災直後から釜石市で地域に根付いた支援を続けていらっしゃる多田農場様と、日本リザルツ様とが実施している『東北マイクロクレジット』事業をMPJ職員が視察させて頂きました。

写真1.jpg写真2.png

【写真左】津波に巻き込まれた時間で止まっている大槌町町役場周辺の建物の時計
【写真右】津波で釜石港に打ち上げられた大型船舶】


『東北マイクロクレジット』事業では、被災者の生活再建、事業再建の実現を図るという目的のもと、具体的には内閣府作成の「生活支援ハンドブック」「事業再建ハンドブック」の配布の徹底、解読の補助を行っています。
事業の説明はリザルツWebサイトをご覧ください:http://www.resultsjp.org/active/01d.html
MPJ職員も、このハンドブックを抱えて、リザルツのメンバーと共に釜石市や大槌町の仮設住宅、避難所を合計7箇所まわってきました。
ハンドブックには、住民税などの減免、支援金や見舞金給付といった非常に重要な手続が記載されているにも関わらず、現地では読んだことがないという方が大多数を占めます。そこで、仮設住宅や避難所等をまわり、一軒一軒家庭訪問してこのハンドブックを配布し、被災者の皆さまからの疑問点や要望をヒアリングして行政との間をつなごうという試みです。
「自分のようなよそ者が突然訪ねて不審がられるかも…」という不安を吹き飛ばすかのように、どこのお宅でも「わざわざ東京から来てくれて有難う」、「暑いのに大変ね。(家へ)上がってお茶飲んでいって」という温かい労いの言葉をかけてくださり、むしろ支援にいったこちらのほうが励まして頂き、勇気を頂くことしきりです。

写真3.png写真4.jpg

【写真】釜石市の避難所外観                   【写真】釜石市の仮設住宅


一軒一軒訪問すると、仮設住宅の構造に対する不満、駐車場の使い方に対する意見、隣人が知らない人ばかりで心細いという不安…訪問先の皆さまから様々なご意見ご要望を頂きます。
当たり前のことなのですが、被災という共通の体験をしながらも、幸運なことに全員無事だった家族、数名を失った家族、たった一人取り残された人、既に勤務を開始している人、失職して仕事が見つからない人、足が不自由でどこにも出かけることができず一日中家にこもっているご高齢の方…各家庭によって現在おかれている状況は千差万別だということに気がつきます。
仮設住宅では、そういった被害状況、経済状況が全く異なる人々が地縁も血縁も切り離され、全く知らない隣人の中で暮らしているのです。住宅という「モノ」作りの次は、コミュニティ作りというソフト面での支援が必要だと考えました。
また、若い世代は比較的新しい環境に順応して新たな生活を築いているものの、高齢の方々には、周囲に知り合いもいない中で一日中家の中で閉じこもっているという方が非常に多く見受けられます。阪神大震災では、孤独死ということが問題になりましたが、今後長期化すると見られる仮設住宅での生活を考えると、高齢の方々の心と身体のケアが特に必要なのではないかと感じました。

写真5.jpg

【写真】釜石で生まれ育った現地ドライバーさんの車


車体に貼ったステッカーに「負げねぞ(負けないぞ)、釜石!」とあります。
現地ではこういったステッカーを到る所で見かけ、皆さんの復興にかける心意気を感じます。
MPJも、皆さんのそういった強い気持ちを後押しできるよう、効果のある事業を速やかに進めていけたらと強く思いました。
  


定款変更に伴い被災地を訪問いたしました

武内陸将補.jpg MPJでは去る6月24日に開催された総会にて定款変更が承認され、今後は国内外の災害救援・支援活動が可能となりました。それにともない、今後の活動の参考のため、北岡会長と鈴木理事長が被災地を訪問いたしました。 まず、7月2日(土)は、仙台に立ち寄り、陸上自衛隊東北方面総監部幕僚長の竹内陸将補から被災地における自衛隊の活動全般についてのブリーフィングをしていただきました。

【写真】竹内陸将補と北岡MPJ会長と鈴木MPJ理事長

 その後、レンタカーで気仙沼中学校を訪れ、齋藤校長先生と2年ぶりに再会し、アフリカ諸国のミレニアム・ビレッジから届けられたPray For Japanのメッセージをお渡ししました。そして、今年3月にはルワンダのミレニアム・ビレッジ、マヤンゲにある小学校へ、気仙沼の生徒さんから贈られた文房具をお届けしたことを報告をいたしました。
 高台に位置する気仙沼中学校でも、残念ながら痛ましいことに帰宅した生徒さんが一名亡くなってしまいましたが、校舎等には被害は少なかったようです。校長先生をはじめ先生たちは大震災の翌日から各避難所を訪問して生徒たちの安否を確認してまわられたそうです。大震災以来、気仙沼中学校の体育館は避難所となり、先生たちが順番で夜勤をなさっていたそうです。体育館の前には仮設の野外水道が設けられ、そこで洗い物をする被災者の皆さまの不便な暮らしぶりが伺えました。
 校舎には「自衛隊の皆さんがいるだけで安心できます」という横断幕が掛けられ、自衛隊の活動が地元の人々に深く感謝されていることがよくわかります。
気仙沼中学校.jpg気仙沼中学校の校庭.jpg気仙沼の仮設住宅.jpg 
【写真】左から:気仙沼中学校の齋藤校長先生と、学校前でスポーツを練習する生徒さん、校庭に建てられた仮設住宅
 また、気仙沼中学校では、体育の授業は近くにある小学校の体育館を借りている状態が続いています。校庭の前の狭い空き地を利用して生徒さん達が週末のクラブ活動を行っていました。また、正門前の校庭には仮設住宅がびっしりと立ち並び、2009年に講演させていただいた時とはすっかりと周辺の印象が変わっていて、同じ学校だと認識するまで少々時間がかかりました。
 校長先生の願いは、一日も早く生徒さん達が体育館を使えるようになり、正常の学校生活を送ることができるようになることだそうです。
 秋には皆さんが東京に修学旅行でいらっしゃるそうですので、MPJではMPJユースの会と協力して、中学生の皆さんのお役に立つことができないものか、と検討しています。
 さて、第一日目は仙台から気仙沼、陸前高田を回り、北上して花巻温泉で被災者の皆さまが宿泊しているホテルに泊まりました。ホテルには各階のエレベータ前に大きなゴミ箱がいくつも並べられてそこでの皆さんの暮らしが感じられました。食事も広い大広間にブッフェ形式で並べられ、被災者の皆さんと一般のゲストの方々が混合してざわめいていました。ただ、地元を思いながら離れたホテルで暮らす被災者の皆さまのお気持ちは、とても複雑のようです。
釜石港.jpg丘から眺める石巻市.jpg 第二日目は、早朝から3月に訪れた釜石を再訪問して、ゴーストタウン化した釜石港を前に、再び衝撃を受けました(写真左)。そこから南三陸、陸前高田、気仙沼へと南下して、石巻市(写真右上)に入って駅前の広場で「難民を助ける会」などが開催している大規模な炊き出しを視察いたしました。生のまぐろやオージービーフ、かき氷などのサービス、化粧品会社から提供された化粧品の配布、仮面ライダーの俳優さんたちの挨拶など、盛りだくさんのイベントが催され、多くの方々が集まっていました。その中に、自衛隊のヘリコプターで救助されたという3歳の男の子もいました。おばあさんとお兄さんと一緒に、明るい笑顔でステーキをほおばっていて、「おいしい」とつぶやく姿に心が温まりました。一家ではおじいさんが津波で亡くなったそうですが、「前を向いて進んでいく」というおばあさんの言葉に、私たちの方が勇気をいただきました。
 
冨田連隊長HP用.jpg自衛隊のお風呂(石巻).jpg難民を助ける会炊き出し7月3日石巻.jpg 
【写真】左から:冨田連隊長と、自衛隊の仮設風呂、「難民を助ける会」の炊き出し 
 第2日目の午後には石巻市の自衛隊の活動を視察させていただきました。自衛隊第六師団第二十普通科連隊長の冨田一等陸佐から、石巻周辺の地図を参考にしながら、大震災後の精力的な活動についてお話を伺いました。その後、自衛隊の浄水トラック(川の水を浄化してお風呂に使う)や仮設風呂などを見せていただきました。お風呂を担当している女子自衛官は、駐屯地へ戻る5日に1回程度しか入浴できないそうです。この暑い夏、精力的な支援活動を続けられている皆さま、本当にありがとうございます!
 そして、被災者の皆さまに、改めてお見舞い申し上げます。一日も早く、皆さまの生活環境が改善されますよう心からお祈りしております。


気仙沼中学校の皆さんから頂いた寄贈品をルワンダへお届けしました!

気仙沼中学校2009年7月.JPG気仙沼中学校の皆様.jpg気仙沼中学校からの寄付品.jpg
【写真】左から:気仙沼中学校での講演、気仙沼中学校・校長先生たちと、ご寄付いただいたノートと鉛筆
東北・関東大震災で尊い命を失われた多くの犠牲者の皆さまに心からお悔やみを申し上げます。
被災を受けた皆さま、関係者の皆さま、心からお見舞いを申し上げます。
また、現地で救済活動を行ってくださっている皆様、本当にありがとうございます。一日も早い被災地の復興を祈っております.

気仙沼港.jpg実は、2009年7月、ミレニアム・プロミス・ジャパン理事長・鈴木りえこと「ユースの会」・中野宏一は、気仙沼中学校の全生徒さんに対して、国連ミレニアム開発目標、ミレニアム・ビレッジ・プロジェクト、アフリカの貧困などに関するお話しをする貴重な機会をいただきました。その際、全生徒の皆さまから感想文をいただき、「世界にはこんなに苦しい生活をしている人たちがいるということを初めて知った」「将来は何かの役に立ちたい」というメッセージが届けられました。

【写真】大震災前の気仙沼港


気仙沼中からの寄付品を贈呈.jpgその後、学園祭で有志の生徒さん達が寄付を集めて下さり、ミレニアム・プロミス・ジャパンにノートや鉛筆などをご寄付くださいました。アフリカで鉛筆も買えない子供たちへ直接届けたかったため、大変遅くなりましたが、この3月7日、ミレニアム・プロミス・ジャパン「ユースの会」がルワンダのミレニアム・ビレッジMayangeを視察した際、小学校の校長先生へお届けしています。
【写真】寄贈品を届けるミレニアム・プロミス・ジャパン「ユースの会」代表の夏井悠妃さん
2009年当時、中学生2、3年生だった生徒さんたちのほとんどは現在高校へ通われています。また、私たちの話を聞いて下さった志田晶さんは「NHK青年の主張全国コンクール2009」で「私も『小さな風』になって」というタイトルで「将来は医者になってアフリカで医療活動を行いたい」という趣旨の主張を行い、文部科学大臣賞を受賞されました。
関係者の皆さま、どうぞ心をしっかりと持って、この困難を克服してください!世界が皆さまの復興を祈っています。


気仙沼中学校からいただいた感想文をご紹介します。

7月10日、気仙沼中学校で理事長・鈴木りえことユースの会代表・中野宏一が講演を行ったことはすでにご報告いたしました。その後、講演を聴いた生徒さん達が、感想文を送ってくれました。全てご紹介したいところですが、一部抜粋してご紹介します。
みなさん熱心に聴いて感想文を書いてくださり、ありがとうございました!
* * * * *

☆中学2年 Oさん
小さい生まれたばかりの子供たちが毎日、毎日確実に死んでいく、それをただ私たちは見て見ぬふりをしてきた、それが僕には一番耐えられなかったです、たった一杯のコーヒー(の価格で―注釈:MPJ事務局)で1人の命が助けられるということに、僕は感動いたしました。

“気仙沼中学校からいただいた感想文をご紹介します。” の続きを読む